死霊術師は笑わない
3.3話
「はぁ……これか、どうする、か……」
それから数分後、大きな瓦礫に腰掛けるアガミの姿があった。
しんみりとした時間が過ぎ、カーテンを身体に巻き付けたアガミは、たどたどしく呟く。
とにかく、アリスの為に生きるという目的がある。しかし、これからどうするか、どうして生きていくかが決まらない。
決まらない以上、下手に動くことはできない。
この男、頭でグチグチと考える。考えないでとにかく動くという事ができない人間なのである。
考えに詰まったアガミが瓦礫に腰掛けぼんやりしていると、眼前に広がる森の影から複数の視線がこちらを向いているのに気が付いた。
そして、腹の底に響く雷のような音──唸り声が遅れて聞こえて来る。
そうしてゆっくりと姿を現したのは、森のハンター、フォレストウルフであった。
薄汚れた灰色の毛の中から、妙にギラついた、月の様な金色の瞳がアガミを伺っている。
「ふぉれ、すと……るふ」
これは……マズイぞ。アガミは心の中で呟きながら立ち上がる。
近くに死体がないアガミに、戦う能力はない。
(どうする……)
ジリジリと後ずさるアガミに、粘っこい笑みを浮かべて近付くフォレストウルフ──その顔が、不意に歪んだ。
風向きが、変わったのだ。
それまで肉の匂いを感じていたフォレストウルフ達に、より匂いが届き、そこに含まれる濃密な“死臭”を感じさせたのである。
腐敗臭とはまた違う、生きている者は発する事の出来ない、忌々しい匂いだ。
それに気付いたフォレストウルフ達は、一転。苛立たしげにひと吠えすると森の中へ戻って行ったのである。
「……なん、で?」
後には、ただ困惑する少女が残された。
時間は過ぎ、艶めかしい曲線を描く月が星々の真ん中に浮かんでいる。
アガミが、魔物に襲われた時のために廃材から武器になりそうな物を探したり、組み合わせたりしていると、どこからともなく香ばしい“肉”の匂いが漂って来る事に気が付いた。
(だれか、人が……?)
すっかりお腹が空いていたアガミは、ふらふらと吸い寄せられる様に匂いを辿った。
深い、深海の様な森に身を滑り込ませ、干からびた死体の様なヒビの入った幹に手をかけ、蛇のように地を這う根っこを跨ぎながら、アガミは匂いがどんどん濃くなって行くことを感じていた。
そして、一方から赤い光が漏れているのを見付け、そこの木から覗き込む──。
──焚き火を囲み、フォレストウルフであろう魔物の肉を食べているのは、男二人、女二人の冒険者パーティであった。
「おなか──へった」
気付けば、アガミの目は肉にクギ付けになっていた。
自分でも気付かない内に歩き出し、パーティに近づく。その際小枝を踏んだのか、パキッと音が鳴り、一気に警戒態勢に入る冒険者達。
しかし暗闇から現れたのが年端も行かない少女である事に驚いた様だった。
「お、おい──きみ、大丈夫か……?」
恐る恐る、といった感じでリーダーらしい筋骨隆々な男が歩み寄り、手を差し出す──。
「にく──」
「えっ…………うわぁっ!?」
次の瞬間、アガミは男の手に齧り付いていた。
「──っ! 離せっ、このっ!」
突然噛み付いてきたアガミを振り払い、男は急いで下がる。
一同は一斉に武器を構え、少女に向き合う。
「大丈夫かギル!」
「ちょ、この娘なんなのっ?」
静かだった空気が騒然とし、緊張が走る。
「にく……おなか、へった……」
「なに、この娘……お腹が減ってるだけ……?」
「んな訳ないだろう! どこに腹が減ったからって人を食おうとする子供がいるってよ!」
しかしそれでも、見た目は幼い少女。冒険者達は、まだ本気で戦う気持ちになれていないのである。
相対する少女の動きは鈍く、脅威は感じられないが、油断せず周りを囲む。
「おらっ!」
「っ!」
一人の男が少女に近付き、アガミが気を取られた瞬間、逆位置にいた男が重りの付いた麻縄を投げつけ、小さな体を巻き取る。
素早い手際で木に少女を括りつけ、ようやく落ち着いた。
「……とりあえず、お肉あげてみよっか」
「待て、俺がやる」
「気を付けろよ」
最初にアガミに襲われたパーティリーダーのギルが、焼いていたフォレストウルフの肉を手に、慎重に近付く。
しかし、その肉を少女の口元に持っていっても、特に反応はみせない。
「やっぱり食べないか……」
「っていうか、さっき触った時、妙に肌が冷たかったけど……」
そこでそれぞれの頭に浮かんだのは、少女がアンデッド……魔物であるという事だった。
「で、でも……こんな綺麗な死体なんて……」
「否定したい気持ちは分からなくもないが、確証がほしい」
ギルは三十分ほど任せると言い、森の中へ入って行った。
「よし、俺達は俺達なりに検証してみるぞ」
「ええ」
「うん……」
まず男が魔物の毛皮を腕に巻きつけ、それを少女の口元に持って行く。すると先程とは違い、少女は目の色を変えてそれに齧り付いた。
そこを逃さず少女の頭を固定し、動かせない様にした後、女が少女の首元に指を当てる。
「動かさせないで──」
そして
「──脈が、ない」
顔を強ばらせた女が、ポツリと呟いた。
「……戻った。どうだった?」
宣言通り三十分程で、ギルが、四本足を結ばれたうさぎを持って戻って来た。
「脈が、なかったわ……」
「そうか」
ギルは務めて冷静に返すと、女は目を伏せた。
「なんで、なんでこんな子供が……」
アンデッドには謎が多い。
分かっているのは、光魔法に弱い。日の光に弱い。首を切られると動かなくなる。頭を潰されると動かなくなる。生きた肉を喰らう。理性がない。心臓が動いていない……。
しかし、どうやって生まれるのか──必ず生き物が元となっているのだが、どんな過程を経てアンデッドになるのか……等は分かっていない。
一時期、アンデッドに殺されるとアンデッドになる、という学説が有力だったが、実験の結果、ただ死んで終わりである事が明らかになった。
また死霊術によるアンデッドは、子供向けの絵本に登場するくらい知られていて、この場合、術者の簡単な命令に従うという特徴がある。
「まあいい。とりあえずやってみるか」
ギルは伏せ込む女を放っておき、うさぎを手に少女に歩み寄った。
「ほら、生き肉だぞ」
そう言って目の前で揺らすと、少女の目もそれにつられて左右に揺れる。
男が少女の猿轡を外し、頭を自由にすると、「にぐっ!」と言いながら暴れ始めた。
「……」
そうして無言のまま近づけて行き──
──ギャピッ!
一瞬うさぎが破裂した様な声をだし、すぐに動かなくなった。
「はあ……間違いない。こいつはアンデッド。魔物だな」
誰に対してなのか、嫌悪感隠そうともしないギルと、シクシクと啜り泣きながら蹲る女、後の二人の中に、嫌な空気が満ちた。