死霊術師は笑わない

2.2話

 宗教の発生地であり、現在大きな武力を持つ聖都。
 そこから北西の方に行くと、深く、霧の立ち込める迷いの森がある。
 そして森を北へ抜け、しばらく行ったところに、その屋敷はある。いや、あったというべきか。

 今では瓦礫の山が残るだけである。

「……っ! …………!?」

 ──そんな瓦礫の中、人などいない筈の場所から、なぜか年端も行かぬ少女の、声にならない悲鳴が聞こえる。

「っ……う……だ……」

 悲鳴の主は、割れた鏡の前にいた。
 色素の抜けた美しい金髪に、少し白く濁った、海のように深い青色の瞳。死体のように青白い肌に、舌っ足らずの声で喋る、十に行くか行かないかの、少女。
 それが声の主である。
 しかも、何も衣服を着ていなく、その幼い肉体を惜しげもなく晒しているのだが……しかし当の本人は混乱の中にいるようで、自分の頬を触ったりして変な声を上げるだけだ。

「……く、まひ……ひゃ…………」

 ブツブツと掠れた声で呟く少女だが、実はその中身……記憶、魂は、死霊術の研究によってA級犯となった男、アガミ・アディクトその人なのであった。
 原因はおそらく、頭蓋骨の持ち主を復活させるための魔法陣が、ほぼ発動していた事。
 そこに、術者にして高密度の魔力が籠った血が流れ入り、そしてアガミの魂が肉体から切り離された所を、魔法陣に巻き込まれたのではないか──そう少女の姿をしたアガミは考えた。

 ひとまず事態に理由付けをし、落ち着くことに成功したアガミは、はぁっと溜め息を零し、心の中で謝罪を繰り返した。

(あぁ……済まなかったアリス。私は頑張った。三十年という長い月日をかけて、君を生き返らせようとした。あとほんの少し。もし聖騎士どもが邪魔をしなければ、君を救えたのに……)

 もし神などがいるのならば、これほど失望したことは無い。
 いや、実際にはある。それはアガミが10になったくらいの頃の事だったが、どちらかというとその時は怒りの方が強かったように思える。

 ともあれ、アガミにとって唯一だった「生きる意味」は、予定とは違う形だがなくなってしまった。
 しかし、もしかしたらこれは、生きる意味が出来てしまったのかもしれない。

『いやだ、わたし……死にたくないよ! アガミくん、たすけて! 生きたいよ……!!』


 その声が掠れていき、途絶え、全てを呪ったあの日から、アガミは死霊術の研究を始めた。
 すべては、少女──アリスの願いを叶えるため、そのためだけに生きて来たのだ。そしてそれは頭蓋骨から少女を生き返らせる、それによって達成される筈だった。
 そうすれば、アガミは一人、何の未練もなくこの世から消え失せるつもりだったのだ。

 しかし計画を最後の最後で邪魔され、無念の内に生を手放したアガミは、不本意な形ではあるがアリスを生き返らせた。そしてそれは、二度と本当の意味でアリスを生き返らせることができなくなったと言うことだ。
 そうして、再び生きる意味を失ったのである。

 が、どうだろうか。もしこれで自ら命を断てば、つまりもう一度アリスの肉体を殺すことになるのではないだろうか。それは、「アリスの生きたいという願いを叶える」ことを生きる意味としていたアガミにとって、全くあってはならないことである。
 つまり、アガミは少なくとも、自ら死を選ぶことが出来なくなってしまったのだ。

 少女は、溜め息をついた。

 そして、今度はすぐに、自分の肉体となったミナをどうやって生かすかを考え始めるのであった。




「こ……は……」

 そうして考え始め、下を向いた時ようやく自分が、いや、アリスが裸体でいることに気が付いた。
 何か着るものは……と周囲を見渡すも、視界に映るのは瓦礫と森と夜空だけである。

 どうしたものか……天才はその恐るべし頭脳を持って、最善の方法を考える。

(……っん? どうしよう、思いつかない)

 果たしてどうしたものか。この肉体に力は大したないだろうし、周囲には人も村も町もない。
 ましては街道などと商人が通る道もないし、作ろうにもそんな技術はない。

(ま、待て……考えろ。なにかある筈……)

 目の前の材料で解決出来ないのならば、新たな材料を探すのみ。

(……っ、あれはカーテン!)

 周囲を探る目に飛び込んで来たのは、なんとか形を保ったカーテンだった。
 しめたっとアガミは今いる瓦礫を降りようとして──。

「ひぎゅっ……!?」

 ──見事に転んで顔面から突っ込んでしまった。

(くそう、なんだ!? 身体が全然思ったように動かない!)

 もちろん、身長や手足の長さ、重心の変化に馴れていないということもある。しかしこの場合はもっと根本的な、「筋肉を動かす」事が難しくなっていることに、アガミは気付いた。

(そうだ……そういえばスカルもゾンビも、動きがぎこちなかったな)

 それはつまり、アンデッド特有の原因だ。
 アガミは、アンデッドについて基本的な知識を思い出した。

(アンデッドには、血が流れていない。中には血を吹き出してるヤツもいるが、それも残っていた血が出ているだけだ)

 血とは、細胞一つ一つが生きるために必要な空気や、栄養を運ぶ。その血がないなら、つまり細胞は死んでいる事となる。
 しかしながら、それではただの死体。アンデッドは、血の代わりに魔力が流れているのである。
 さらに、脳から筋肉へと送られる指示信号も、この死んだ肉体ではできないのだ。

(そうだ、生命維持はもちろん、筋肉一つ一つへの司令も魔力で行っている状態だ。相当なタイムラグは覚悟した方が良いな)

 そう思い、アガミは今度は慎重に立ち上がった。

(タダでさえ動きにくいのに、足場が瓦礫で悪い……)

 内心毒づくアガミは、ぎこち無い動きでカーテンの元へと歩いて行くのであった。

「ふ……」
(ふむ、服はこれで我慢するしかあるまい。それにしても……)
「あ……う……」
(なぜこんなにも喋れないのだ……)

 声は出ている。ならばなぜ話せないのか……普段からよく喋るタイプではないアガミだが、さすがに、ずっと録に話せないのは辛くなって来る。

(なんだ……人間には出来て、アンデッドには出来ない事……)

 そして手を顎に当て考え……そして気付いた。
 それは、呼吸だ。生きる上に必要な呼吸だが、もし自動化されていなかったなら、人は産まれてすぐに死んでしまうだろう……そして同時に、もう死んでしまっているこの身体には呼吸という機能はついていないのだ。する必要がないともいう。

 原因が分かったアガミは、ずっと自分が息をしていなかった事に気付き、意識的に肺を、横隔膜を動かした。
 そして吐くと同時に喉を震わす。

「……あ、あー、こえ、きこ、るー」

 そうして発せられた声はぎこちないながらも、確かにアリスの声だった。

「あぁ……アリス、ひさ、ぶり、だ、ね…………」

 もしこの身体が生きていたなら、涙を流していただろう。
 たどたどしい声には、強い感情がこもっていた。
			

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