Progressive Trans-Sexual
1.前編
『 高校三年の夏。 段々と目の前に迫る受験から目を逸らしながらも、新しいクラスメイトに囲まれ少し浮き足立った学校生活が始まって三ヶ月がたった。 幸いにも一年の頃からの親友である坂本達也がまた同じクラスだから、特に友達に困ることもなく日々を過ごせていた。 そんな俺だが、春休みのある日の晩、俺は不思議な夢を見た。 端的に言えば、俺が死ぬ夢。それも174cmある俺よりでかい大男に襲われて死ぬ夢。 目が覚めたときは最悪の気分だったが、所詮は夢。 昼頃にはすっかり記憶からなくなっていた。 しかし、だ。その頃からだ。俺の体に異変が起こり始めたのは。 最初の自覚症状は、それまで二日に一回はしていた自慰行為が三日に一回、四日に一回と減っていったことだった。 しかしまあ最初は受験のストレスかとも思って特に問題視はしてなかった。 次の異変もそれに関することで、自慰行為をしても息子がなかなか最大サイズにならず、絶頂を迎えた時も以前のような激しい快感を得られなくなっていた。 今では週に一回するかしないか程度まで頻度が落ちていた。 次にあったのは、乳首の下にできたシコリだった。これには覚えがある。 確か小六の頃もこのシコリに悩まされた記憶がある。 正体は乳腺で、思春期にホルモンバランスが崩れた場合、男子でも一時的に乳腺が発達することがある。 何かにぶつかるとかなり痛いという点もあの時と一緒だが、あの時は数ヶ月でなくなったし、医者も「この年齢で女性化乳房は普通ではない」と言っていた。 レントゲンを撮ったりもしたが、やはりあるかないか分からない程度ということもあって、しばらくは様子見と言われた。 その次の変化は体毛だった。この三ヶ月で腕や脚のムダ毛がほとんどなくなってしまったし、ヒゲも週に一回剃れば十分なほどに伸びる速度が遅くなっていた。 「……やっぱり、肉ついたよな……手足だけじゃなくて、胸にも」 俺は今、自室で裸になって姿見を見ていた。 そこに映る俺は、以前より明らかに丸みを帯びた体型になっていた。 「こっちも……小さくなってる」 股間を覗き込み、睾丸を優しく摘んでみると、その大きさはビー玉程になっていた。 「俺の体、どうなっちまうんだよ……」 ため息を吐き、制服を身に着ける。 「……裾、踏むな」 以前は足首の辺りにあったスラックスの裾が、今ではかかとの下にある。 「背、やっぱ縮んでんだな」 次にベルトを締めると、一番きつくしてもまだウエストにゆとりがあった。 「全体的に体が細く……小さくなってるってことか」 それからシャツを着ると、やはり。 「うわぁ、乳首目立つな……」 ワイシャツを着てもポッチと浮き出る乳首。ブレザーは着れないことはないが、この気温でそんな格好をしてたら熱中症で倒れかねない。 しょうがないと、今日も俺は絆創膏を乳首に貼った。 医者からは何か変化があったらすぐ来るように言われたが、俺は怖くてそれができないでいた。 家族にも言わず、自分ひとりの秘密にしている。 再びワイシャツのボタンを留めていると突然部屋のドアが開かれた。 「ちょっと兄ちゃん、母さんが早く降りてこいって……」 「うっひゃあああああ!?」 「うわっ!? なんだよ気色悪い声上げて!」 「なななななんだよって何だよ! 部屋入るときはノックしろって言っただろ!?」 部屋に突然入ってきたのは弟の祐二だった。危なかった。あと一分でも早かったら体を見られていた……。 (てかマジで何だよ今の声!) 俺の……悲鳴があまりにも女っぽくて自分自身一番驚いていた。 「に、兄ちゃん、マジで大丈夫?」 「だ、大丈夫。気にすんな……もう降りるから先食ってて」 「うん」 少し、というかかなり不自然だったろう。そろそろ家族に隠すのもキツくなってきた。 特に、風呂上がりは危険だ。 「とりあえず、今日もばれないように気を付けるか」 「体育あるの忘れてた……」 「ジャージは?」 「ある……先週持って帰るの忘れてたから」 「じゃあ別に良くね? それとも何かあるん?」 「いや、別に……」 頼む、達也……余計な詮索をしないでくれ……。 事前に体育があることを覚えていれば、朝から体育用のTシャツを着て学校に来たのに……このままじゃ裸を晒すことになる。 「女子もいなくなったし着替えるぞ」 「お、おう」 元々女子校だったこの学校には更衣室がなく、偶数クラス奇数クラスで男女別れて着替えるのだ。 「……なんでお前そんな隅っこで着替えてるんだ?」 「な、なんでもない!」 俺は教室の隅で壁に向かって高速で着替えた。達也に訝しまれたが、何とか見られずに着替えることができた。 「今日なんだっけ?」 「サッカーだな……」 グラウンドに移動し、チャイムとともに挨拶をした後、体操と筋トレが始まった。 俺が前屈してると、俺の背中を押していた達也が驚きの声を上げた。 「おまっ、前よりめっちゃ体柔らかくなってるな!?」 「え、あ、そうか? 自覚はないけど……」 「やべえよ! グニャグニャしてておもしれー!」 「いたたっ、バカっ、うんっ、強く押し過ぎだって、んっ……」 「ご、ごめん……」 俺が苦痛の声を上げると、流石に達也も優しく押すようになった。 続いて筋トレ。達也に足を抑えてもらっての腹筋なのだが……。 「くぅぅぅぅぅっ、んん゛っ……」 「お、おい、あんまり変な声出すなよ……俺が変なことやってると思われるだろ!」 「わ、わり……」 「てか、お前どうした? まだ五回目だぞ?」 「あんまり体調が良くなくてな……」 嘘は言っていない。 「あんまり無理すんなよ?」 「大丈夫。心配すんな」 そんなやり取りをしつつサッカーが始まった。 (む、胸が揺れる!?) 実際は揺れるほど大きくはないのだが、痛覚を感じやすい乳腺も一緒に揺れるせいなのか、まるで胸全体が大きく揺れるように感じられた。 (は、走りにくい……) 実は先週の体育の頃は乳首に絆創膏をしていなかったのだが、シャツと乳首が擦れて痛痒い感覚に襲われたのだ。おまけに達也に「乳首立ってんぞ」とからかわれる始末。それ以来絆創膏を貼るようになったのだ。 (やばい……サラシとか使わないともうキツイぞこれ……) そんな先週よりも、明らかに揺れる胸。ひょっとしなくてもこの一週間で胸がでかくなったのだろう。 しかし余計なことに気を取られていたせいか、パスされたボールを踏みつけ……足首がおかしな方向に曲がった。 「あ゛っ!?」 しかし時すでに遅く、そのまま俺は校庭の大地へと吸い込まれて行った。 ~・~ 今日のアイツは……というか、最近のアイツは様子が少しおかしかった。なんだかコソコソしてるし、常に猫背でいるようになった。 そのせいか、俺よりデカイかったはずのアイツの目線は、気付いたら俺より下にあった。 そして今日は特に変だった。前屈運動のときに押したアイツの背中はいつもより小さく感じたし。 それから、脱毛でしたのかと思うほど毛のない腕足……何かあったんだろうか。 そんなことを思いながらアイツを眺めていると、パスされたボールを踏みつけてグラリとその体が傾き──見事なまでに地面にダイブした。 「……って、おい祐一!?」 慌てて駆け寄り、その体を抱える……と、祐一は目を回していた。 「お、おい、大丈夫か……!?」 「あひぃ~……」 「ダメそうだなこりゃ……先生、俺祐一を保健室連れて行くんで!」 俺は遅れてやって来た体育教師にそう告げると、祐一をおぶった。 「うぉっ、軽っ、柔らかっ……」 初めて抱えた親友の体は、俺よりデカイはずなのに異様なほど軽く、俺の背中に触れる部分や、支える手に乗っかる太もももムニムニとしていて柔らかかった。 「こいつ、もしかして──」 ふと、ある可能性が脳裏を過ぎった。 「──太ったのか? いや、でもめっちゃ軽いし……」 ブツブツ言いながら保健室を目指し歩いていく。 ダラリと俺の肩の上から垂れる祐一の腕は……そしてその先に繋がる指まで、まるで女子のそれのように筋肉がなく、ほっそりとしていた。 おまけに俺と同じくらいはあったはずのムダ毛もなく、キメ細かい綺麗な肌だった。 「一体どうしちまったんだ……祐一」 保健室に着き、先生に足の手当をしてもらうと、先生は親御さんに迎えに来てもらうからと電話をしに出ていってしまった。 俺はベッドに横になる祐一を眺めながら、先生を待っていた。 ……こうまじまじと見ることなんてないから初めて気付いたけど、こいつ、こんな女っぽい顔してたのか。 首筋もほっそりとしているし、まつ毛も長い。 いや、そんな筈はない。去年の修学旅行の時に見たこいつの寝顔はもっと普通に……普通の、男の顔をしていたはずだ。 こいつがお洒落か女装にでも興味を持った……可能性はなくはないが、スッピンでこんなに変わるものなのか……。 俺がそう物思いにふけていると、んん……と女子のうめき声が聴こえた。カーテンを隔てた隣のベッドにでも女子が寝ているのだろうか。 しかしのそりと起き上がったのは俺の目の前で寝ていた祐一だった。 ……たしか保健室に入った時、他に生徒はいなかったし、ベッドも全て空だったはずだ。 「あれ、達也……」 「大丈夫か? 祐一」 「あぁ……俺転んだのか……」 「足は痛まないか?」 「あー、動かさなければ大丈夫っぽい」 「そうか……意識失ってたのもあるし、おばさんに迎えに来てもらって病院行きだってよ」 「そっか…………え、病院?」 ガバッと祐一が顔を上げた。なぜか焦った表情をしていた。 「だ、ダメだ! 病院はダメ!」 この様子。やっぱり何かあるらしい。 「それは……お前の体の変化に関係あるのか?」 祐一の焦った顔はサッと青ざめた。 「な、な、なんのことだよ……」 「お前なぁ……気付かねえ訳ないだろ。何があったんだよ。言ってみろ」 しかし、うつむいて口をつぐむ祐一。 「大丈夫だ。もしお前がゾンビになってても驚かねえよ」 いやまあ流石にゾンビになってたら驚くが。 俺がそんな風におどけてみせると、祐一は少し笑って、それから覚悟を決めた表情をすると着ていたシャツを脱いだ。 ~・~ 「お前、それ……」 俺が意を決してシャツを脱ぐと、達也の視線はやはり俺の胸へと注がれた。 別に大きいわけじゃない。肥満体型のやつと比べれば全然だ。 だが太っていない男にしてはやや膨らんだ胸。肥満のそれとは違い、乳首を中心にツンと上向きに尖っている。 どこからどう見ても、男の胸ではない。 「……今年の四月くらいから、体が変になってきてさ。一回医者に見てもらったんだよ。けどその時は全然進行してなくて……何か変化があったらすぐに来るよう言われて終わったんだ」 「……それで?」 「けど、どんどん体がおかしくなっちまって……怖くなってさ。病院に行かないどころか、母さんたちにもまだ言ってないんだ」 「そう、か……あ、下は?」 「あるよ」 俺がそう言うと少しホッとした表情を浮かべる達也。しかし続けて「……一応」と付け加えると、少しショックを受けた顔をした。 「俺、どうなっちまうんだろうな」 「どうなるって……」 これは意地の悪い質問だったろうか。 「もう……やだよ。このまま得体のしれない身体になっていくくらいなら、いっそのこと……」 ポツリとそう漏らした言葉は、ずっと心の奥底に留めていた本音で。 「馬鹿言ってんじゃねえよ!!」 だから、それを言い切る間もなく突然大声を上げた達也に思わずポカンとしてしまった。 「言っただろ! もしお前がゾンビになってても驚かねえよって!」 「いや、でも……」 「でももへったくれもあるか!」 「ひゃいっ」 な、なんだこいつ急に……! 突然の親友の豹変っぷりに若干引く。 「あのなぁ……俺だって、昨日の俺と今日の俺じゃ、どこか変化してんだよ。何年か前までは下の毛も生えてなかったし、もっとヒョロリとしてた」 「ま、まあそりゃそうだろう」 「でも、俺は俺だ!」 「っ!」 真っ直ぐに俺を見つめる瞳には、とりあえず口からでまかせで言っているのではないという熱い意思が込められているように思えた。 「嫌でも俺たちは変わっていくんだよ……大人になって、年をとっていく。けれど、一生俺は俺だし、お前はお前だ!」 「達也……」 俺が言葉に詰まっていると、保健室の先生が戻って来た。 「親御さん迎えに来たけど……意識はしっかりしてる?」 「あ、はい……」 「えーと、念の為に病院で検査を受けてもらうから……」 先生がそう言うと、チラリと達也が視線を送ってきた。 ……分かった。もう逃げないよ。 そう思いを込め、そっと頷く。 「結果から言うと、PTS症候群だってさ」 「ぴーてぃーえす……?」 「プログレッシブ、トランスセクシュアル。日本語にすると、進行性性転換症候群だってさ」 「進行性……なるほどなぁ。それで、治るもんなのか?」 「無理だって。ホルモン治療で見掛け上の進行は遅らせられるらしいけど、メインの症状の進行は抑えられないって」 見掛け上の進行……胸がでかくなったり、声が高くなったり、体毛が生えなくなる……そういった症状だ。 一方のメインの症状とは、骨や筋肉の萎縮、性器の変化、脳の変化など……らしい。 「それに……俺がずっと隠してたせいで、ホルモン治療じゃもう効果は薄いし、そもそも体に良くないらしい」 「そう、か……それでその……」 「PTS?」 「そう、PTS症候群って、なんか原因あんのか? 菌とか、遺伝とか……」 「原因は不明だって。でもまあ、人に移るものではないし、子に受け継がれる訳でもないらしい」 「ふむ……」 押し黙ってしまう達也に、俺は努めて明るく振る舞った。 「っていうか、そもそも病気じゃないらしい」 「は?」 困惑する達也に、病院の先生の言葉を思い出しながら言う。 「PTS症候群は、名称こそ病気のようですが、その実態は病でもなんでもありません。これは恐らく、成長の一種と考えられています。 病が、正常な体を異常へと変えるものならば、このPTSやは全くその逆。今まで不完全だった肉体を、正常な……完全体にするものなのです。まあ正確に言うと、変化する事そのものをPTSと呼びますけどね」 俺が言い終わると、達也はポンと手を叩いた。 「なるほど。つまり祐一の真の姿は女って訳か」 「いや納得するの早すぎだろ……」 こいつは悟りでも開いてるのか……。 「まあ何て言うか……別に男のお前が偽物とかって言いたい訳じゃなくて……お前はまだ二次性徴の途中だったって訳だ?」 「あー、まあ、うん。だいたいそんな感じ」 ……ほんとに。こっちの心情を察するのが上手いやつだ。 依然として俺がこの“変化”を恐れていることを、達也はちゃんと分かっている。分かった上で、それは怖いことじゃないよと、そう言ってくれるんだ……。 「……なんだ、その」 「ん?」 達也は頭をかきながら少し照れくさげに言う。 「確かに昨日はあんなこと言ったけど、別に体が変わって行ったって、気持ちも無理に合わせる必要ないんだ」 「えっと、それってどう言う……」 「あーもー! こういうのは馴れん!」 突然立ち上がる達也に驚く。 「えーっとだな……変化することを受け入れようとしなくてもいい。ただ、否定はしてやるな。それはおまえ自身を否定するのと同じことだ」 そして達也は、優しく微笑んだ。 「もし、それでも……どうしてもきつくなったら、俺がいる」 「え……?」 「変わるのが怖いなら……俺が変わらず親友でいる」 全くこいつは、素面でそんな恥ずかしい事を言うんだから……。 「ありがと、な」 「おう」 けれど、なぜかその微笑みにひどく救われた気がして──。 「ふむ……子宮ができてますね」 「はあ……」 「と言っても、なにもない所からできた訳ではありません。男性に存在する前立腺という臓器が変化した……と言うより、前立腺になる前の臓器に戻った。と言った方が正しいでしょう」 「……もうしばらくしたら、生理も始まるでしょう。君の担当看護師の小林君からレクチャーを受けて帰ってね」 「はい……」 あれからさらに三ヶ月。秋真っ只中。症状は進み、身長は160cmまで縮んでしまった。胸もブラなしでは不便に感じるほど(と言っても巨乳ではない。Bカップだ)まで大きくなってしまって、今では毎日ブラをつけている。 ちなみに陰茎はわずか1cmくらいまで小さくなってしまったし、睾丸どころか陰?もなくなってしまった。 それから、陰茎に穴がなくなってしまった。わかるだろうか。尿が陰茎よりも前部から出るようになったのだ。 体全体の……パッと見でわかる見た目の変化はもうないだろうとのこと。顔もすっかり女顔になっちまったしな。 後は生殖器周辺と声帯位だそうだ、変わるのは。 「おあ゛よう」 「おはよう、祐奈。相変わらず酷い声してんな」 「うるぜえ」 絶賛声変わり中の俺は、小六の頃と同じように数週間声が枯れっぱなしだ。しかし今日はだいぶ調子がいい。意図せず、数年前の声変わり前のような澄んだ声が出るときがある。 それから、戸籍が変わった。性別が男から女に。名前が祐一から祐奈に。 名前を変えるときは、アイデンティティの揺らぎに軽く病んだが、あの言葉が俺を支えてくれた。 『変わるのが怖いなら……俺が変わらず親友でいる』 今でも正直言って、不安で眠れない夜もある。だけど、怖いだけじゃない。少しだけだけど、ワクワクしている自分もいるんだ。 「どうした? なんか良い事あったか?」 「ふふっ、ないしょだよ」 あぁ全く、こんな時に限って澄んだ声が出るんだから……。 「おいてくよっ」 赤くなったであろう顔を見られないように、俺は一歩駆け出した。