俺の大切な騎士様に花束を
4.俺の大切な騎士様と看病
……懐かしい夢を見たような気がする。
どんな内容だったか、霞のように消えて思い出せないけど、なにかの記憶だったのかも知れない。
横になったまま……天井を見上げていると、その視界がいつもよりぼやけているような気がした。
「あー…………のど痛い」
嫌な予感が的中した。
のっそりと起き上がると、微かに痛み、ふらつく頭。
脈が打つ度に、頭の内側から押し上げられるような圧迫感。まだあまり熱はないのか、額を触ってもあまり熱く感じない。
しかしまあ、十中八九風邪を引いてしまったのだろう。
医者か、教会か。
……正直言って、薬を買う金が惜しい。しかし、回復魔法は風邪などの病気に効きにくい……。
……薬といえば、たしか昨日の青年……アテレスだったかは、薬屋で働いてると言ったか。彼は風邪を引かなかったのか……。
あーいや、現実逃避してる場合じゃないぞ。
どうしようか、アルフレッドとの約束……。
再びベッドに横になり、上手く働かない頭で考える。
正直言って、行かない訳にはいかない。身分的に、絶対に逆らえない相手だ。
もちろんだけど、彼も鬼じゃない。事情を話せば許してもらえるだろう。しかし、そのためにも行くしかないのだ……。
しかしそれにしても、時間がまだある……。
さっさと治すためにも、まず教会に行くことにしよう。
俺はゆっくりと起き上がると、コートを羽織って家をでた。
空は昨晩の雨が嘘のように青く澄み渡っていて、道には水たまりがいくつも出来ていた。
まだ早朝ということもあり、人影は少ない。
この辺りは店なども少ないので、余計に閑散としている。
もう何年も補修されていない、煉瓦で舗装された道を歩けば、寒々しく響く足音。
道を歩いていけば、程遠くない所に小さな教会があるのだ。
そこの教会長のばあさんは、冒険者になってから随分と世話になっている。
医者にかかる金がない俺は、頻繁にこの教会に足を運んでいるのだ。
見えた建物は、所々傷んだレンガ造りの教会だ。三メートルほどの高さで、申し訳程度のステンドグラスの丸窓が高い位置についている。
屋根から突き出した塔の鐘は、鳴らされたところを見たことが無い。
茶色い木製のドアを叩くと、篭った音が響いた。
遅れて、聞きなれた落ち着いた声が内側から聞こえてくる。
扉が開き、眼鏡が印象的な老人が顔をのぞかせた。
「なんじゃい、おまえさんかい」
「悪かったな、俺で……風邪ひいた」
「なんじゃ、冒険者のわりに脆弱じゃのう」
「うるさい……ほら、治してくれよ……」
「言っとくが、病気は回復魔法じゃと……」
「わかってるよ。何もしないよりマシだろ?」
そこまで言うと、ばあさんは首を振り、無言で回復魔法をかけてくれた。
「う~む……」
「どうしたんだよ」
「たぶんあんまり効いとらんのう。お前さんさては、昨日の雨に打たれたな?
ただでさえ体が弱いんじゃ。そこで一気に体を冷やしたせいで、治す力が弱まっておるんじゃろう……」
「そっか、わかった」
「すまんのう……」
申し訳なさそうに頬をかくばあさん。
「ほら、さっさと家に帰って寝ときなさい」
「ああ。いつもすまないな……これ、寄付金」
「か~っ、んな少額、もらってもなんの足しにもならんわい。さあ帰った帰った」
「おう……」
彼女は、俺の事情をすべて知っている。普段は嫌味ったらしい態度だが、本当に良くしてもらってる。
また受け取ってもらえなかった寄付金を仕舞い、俺は元来た道を引き返した。
今から帰えれば、約束の時間まで4,5時間寝られるだろう。
日も登り、だんだんと気温が上がってきたと言うのに、寒気を感じた俺は足早に帰り道を急ぐ。
心なしか、先程より人が増えた気もする。
そのほとんどが女性なのは、家事に追われているからなのだろう。
家に着いた俺は眩暈を感じ、ベッドに倒れ込むように横になった。
ふーっと息を漏らす。
「はぁ……しんどい」
一度起き上がり、水を飲む。喉が痛む。起きた頃より悪くなっている気がした。
「寝るか……昼には起きねえと……」
じゃっかん汗とカビ臭い毛布を口元まで被り、目をつぶる。
熱に襲われるように、俺は意識を落としていった。
冒険者をやっていると、命の局面に立たされる時もたまにある。
それは魔物に襲われてだったり、泉の水に当たったりした時だったり。
しかし特に嫌な記憶として残っているのは、植物系の魔物の毒にやられた時だった。
ひどく熱を発っし、汗が止まらなくなった。指先は震え、膝には力が入らず、何度も倒れそうになった。
なによりキツかったのは、心細さだ。
いつどこから、魔物が現れるか分からない。
下手をしたら、毒で死んでしまうかもしれない。
助けてくれる人は誰もいない。
そばにいてくれる人は、誰も、いないんだ。
朦朧とする意識の中で、ずっと震えていたのは、絶望的なまでに生々しく精神を蝕む「孤独感」にだった。
もちろん今は、それほどじゃない。
ほっとけば治るし、魔物もでない、安全な部屋だ。
しかしそれでも、心の中には「独り」だという恐怖がこびり付いて取れない。
それは小さな頃から、ずっとそうだ。
俺は生まれてから、ずっと独りだったのだ。普段は特に、それを意識することはない。人と深い関わりがないことは自覚はしているものの、そのことにマイナスのイメージを持つことがないのだ。
しかし、例えば毒に、病に侵された時それは、牙を剥く。
まるで自分が、足場の不安定な所に立っているかのような恐怖に襲われる。
暗い、寒い、怖い──寂しい。
暗闇の中、一人でうずくまることしか出来ない。どんなに泣き叫ぼうとも、それを嘲笑うかのように孤独感が心の底からやってくる。
嫌だ、いやだ……
それから逃げるように、温もりを求めるように、必死に手を伸ばす。
それが、なんの意味も持たないことを知りながらも、できることは、もうそれだけだった。
──不意に、その手が温もりに包み込まれた。
一体なんだというのだろうか、その暖かさは。それまで絶えず心を蝕んでいた孤独感を、一瞬にして打ち払ってしまった。
足元もおぼつかない暗い洞窟から抜け出し、太陽の下へたどり着いたような、安心感。
フッと体から力が抜けていき、沈むように意識が遠のいていった。
……暑い、息苦しい。
なにかに捕まったかようにもがき苦しむ。
と、額に冷えた何かが置かれた。
冷たい……気持ちいい……
突然の感覚に、意識が浮上する。
ぼんやりとしたまま目を開けば、空のように青い瞳と目が合った。
「あぁ……よかった。目が覚めたんだね」
「……なんで、ここに?」
「君がいつまでたっても来ないから、心配したんだ。それで聞き回ったら、風邪をひいて教会を訪ねたって聴いてね。住所も聞き出して来たんだ」
──ああ、やっぱりだ。こいつ、わざわざ住所を調べてきたんだ……
私服の聖騎士団員、アルフレッドがベッドの側に椅子を置き、そこに座って俺の顔を覗いていたのだ。
それにしても、ただ単純に俺が約束をすっぽかしたとは考えなかったのか。
そう伝えると、リオン・ソリュートという人間、は黙って約束を放って置くような人ではないとのこと。
なんなんだろう、この信頼感は。
むず痒いような感覚を味わいながら、アルフレッドを見上げる。
「……ごめん、いけなくて」
「気にしないでくれ。むしろその体でやってきたら追い返していたところだ」
そういうと、アルフレッドは静かに笑った。
「……なんだよ」
「いや、ようやく素の口調が聴けたなと思って。この前森で会った時は、途中から敬語だったからね……」
あ……、そうだ。寝ぼけてるせいか、敬語を忘れていた。
「あいや、別に責めている訳ではないんだ。むしろ、素を出してくれて嬉しいというか……ね」
一体どういう事だろうか。
頬を赤めらせ、目をそらしながらいう。
もしや────!
ここで俺はある可能性に気が付いた。
「アルフレッド……お前、もしかして友達いないのか?」
「……ん?」
ああぁ、なんてことだ。俺としたことがその可能性を思いつかなかったなんて。
そうだ、この男、貴族学校時代もいつも1人で行動していた記憶がある。
たしかにアルフレッド・グラーチェという男は、剣・魔・学すべてに優れていた。
しかしどうだろう。優れているからこそ、周囲が引いてしまう。
そして優秀な者だけが入ることが出来る聖騎士団。そこに所属する多くはアルフレッドより歳上であろう。
もしかしたら……いいや、そうに違いない。
そう考えるとすべて辻褄があう。
「……リオン、君は今、盛大な誤解をしていると思うんだ」
「いや、言わなくていい」
同年代の友達に飢えていたアルフレッドは、俺を助けた時に思ったはずだ。
(こいつ見たことがある。そうだ、貴族学校で同じ科だった……これは友達を作るチャンスでは──!)
だとしたら、その後接触して来たり、街に誘ったのも納得が行く。
おおよそ友達を遊びに誘ったことのない彼は、女をナンパする術しか知らなかったのであろう。
そして、それを俺にしてしまったに違いない。
「んんん……納得行かないけど、まあいいか……そうだ、お腹が減っただろう。粥を作ってくるよ」
「あ、ああ。頼む……」
そう言って立ち上がるアルフレッド。
この小さな家は、リビングの一角に簡素な調理場があり、トイレと大きめのクローゼットが壁と扉で区切られているだけの質素な住居だ。
火魔法を使い、鍋を温める伯爵貴族の背中をぼんやりと眺めながら、俺はこれからのことを考えていた。
友達か……。正直言って、なぜ俺が? と思ってしまう。
正直言って、アルフレッドに俺は釣り合わない。もし並んで貴族学校を歩けば、お互いに恥ずかしい思いをするだろう。
……しかし、ここは貴族学校ではない。俺は、今は貴族じゃない。
身分なんて関係ない、冒険者だ。
アルフレッドも、だからこそ俺を選んだのかもしれない。身分など関係ない、俺だから……。
そうだ。命を助けてもらった、せめてもの礼だ。せめてアルフレッドが飽きるまででも、友達としてあいつに付き合うことにしよう。
皿を手に戻ってくるアルフレッドにお礼をのべながら、俺はそう決めた。