俺の大切な騎士様に花束を

1.俺の大切な騎士様と再開

「俺、分かんない……分かんないよ……!」
「リオン……」

 それは、未知のものだった。
 少なくとも、俺が生きてきた18年の中では1度も味わったことのない感情。

 心が、震えた。

 仄かに香るスパイスの効いた、花のような香りが胸を締め付ける。

「リオン。私は、君を────」

 空よりも澄んだ青色の瞳が、優しく俺をのぞき込む。
 言わないでほしい、言ってほしい……相反する感情が胸の中でせめぎあった。
 大きく、それでいて綺麗な手がそっと伸びてきて俺の頭に触れる。
 まるで、愛おしいモノを撫でるかのように。

 いや、「まるで」じゃない。「かのように」も、違う。
 本当に、そうなのだろう。そうであってほしい。
 よっぽど、情けない顔をしていたのだろうか。
 フッと表情をほころばせると、優し気な声で俺の名前を呼んだ。「────リオン」と。

 待ち望んだ言葉が、その口から囁かれる。それはこの世に星のようにいるどの女性へでもなく、目の前にいるこの俺へ向かって言われるのだ。

 ああ、きっと俺は、この綺麗な目と目が合った時、彼を、好きになっていたのだろう────。





 クラッシナ聖教会。それはこの国の実権の殆どを握る、大組織だ。その権力は国内のみに留まらず、広範囲に渡る。
 その教会が独自に持つ騎士団こそが、聖騎士団。
 いわば憧れの的。男の子に限らず、中には女の子もその職に憧れる。

 かく言う俺も、その1人。
 いや、だったと言うべきか……。

 誰もが憧れる。しかし誰でもなれる訳ではない。
 夢を早々に諦め、他の仕事を探す者も多い。というより、ほとんどがそうである。

 エリート中のエリート。文武魔全てに優れ、血筋や家柄が保証されていなければ、なることはできない。
 聖教会によって認められた、才能溢れる僅かな人だけが、その証である白銀の鎧を身に纏うことができるのである。

 その鎧を着、街を颯爽と歩く自分の姿を何度夢想しただろう。しかしそれは叶わぬ夢。
 貴族学校の騎士科で技術を磨いていた俺だが、身長も早々に止まり、体も貧相。模擬戦闘でも、女子にも勝つことができないほど弱い。
 というのも、生まれつき体が弱いのだ。脆弱、虚弱。
 これが窓辺の令嬢ならまだしも、仮にも聖騎士を目指す男子としては実に厄介な体質だ。

「おい、リオンのぼっちゃん!」
「……なんだよ」
「相変わらず辛気くせえ顔してんなー」
「ほっとけ!」

 さて、聖都貴族ソリュート男爵家の三男、リオン・ソリュートこと俺が、聖騎士の夢を諦めて現在なにをしているかといえば、国の外で活動する冒険者である。
 主な仕事は、護衛、討伐、採取。
 貴族で冒険者になるのは大変珍しいが、所詮男爵家の三男。身が軽いのである。

 今日は特に依頼を受けている訳でもないからと、冒険者ギルドの酒場で時間を潰しているのだが、正直暇だ。
 表に出て剣でも振れば気も晴れるのだろうが、そんな気にもならない。
 それもこれも、昨日のある出来事のせいである。





 鬱蒼とした森。そこは人の住む領域ではない。なにが起こるか分からない、という本能的な恐怖が、そこから人を遠ざける。
 ここは聖都の西方に生い茂る、大きな森。通称「迷いの森」。
 エルフが住むという話もあるが、その姿を見ることはほぼない。そんな場所で、俺は1人、狼の群れと対していた。

「くそっ、ついてねえ……」

 フォレストウルフ。森の掃除人とも呼ばれるこの魔物は、1匹1匹は大したことはないが、群れで獲物を狩るため、大変厄介な存在だ。

「キリがねえ……うおりゃ!」

 指に力が入らない。剣がすっぽ抜けそうだ。

 すでに6匹くらいは殺ってるはずだ。しかし、こいつらは引かない。獲物が弱ってきているのを感じているのだろう。

「冗談じゃない。今日は薬草を採りに来ただけだってのによ!」

 つい3ヶ月前に一斉討伐が行われたはずなのに、なぜか帰る途中に群れと出くわした。
 ジリジリと追い詰められる恐怖と焦燥、確実に溜まっていく疲労感に、余計に追い詰められていく。

 ギラギラと輝く瞳が十数個、薄暗がりからこちらを射抜く。

 ダメかもしれない。元々騎士を目指していて、対魔物の戦闘訓練は積んでいない。
 冒険者になってからも、できるだけ討伐依頼などは受けないようにして来た。
 そのつけが回ってきたのかもしれない。

「しょうがねえ、できるだけ多く、道連れにしてやる──!」

 手の内を滑り落ちていく柄を握り直し、一歩踏み出す。
 その瞬間。

「おいおい、そんな事を言うものではない」

 ────キャンッ!

 フォレストウルフ達の目の、あの赤く輝く金色とは違う、青みがかった閃光が煌めいた。

「君は──リオン・ソリュート君だったかな?」
「お、お前は……!」
「忘れてしまったかい? まあ無理もない。直接話したことは無かったし」

 忘れた? そんな訳はない。忘れられるはずがない。騎士科で落ちこぼれ街道を転げ落ちて行った俺と、対極に位置する存在、それが彼だ。

 美しい長い金髪と、この薄暗い森の中にあっても、空のように輝く青い瞳。
 スラリとした四肢は、しなやかな無駄のない筋肉がついていることを、俺は知っている。

 貴族学校、騎士科において、座学、剣術、魔術など、すべてに置いて1位の成績を、卒業まで保ちつつけたまさに天才。
 そして現在は、あの聖騎士団に所属するエリート。
 まさしく思い描いていた理想の将来像。

 グラーチェ伯爵家の長男、アルフレッド・グラーチェ。

「……っと、無駄話をしてる場合ではないようだね。あいにく、対魔物戦はあまり得意でない。合図を出したら、一緒に走るぞ?」
「は、はい!」

 突如現れた乱入者に、フォレストウルフ達の殺気が高まっていく。
 一触即発のムードの中、アルフレッドは小さく魔法を唱えた。

「────我が魔力によって鳴り響け、轟音たる雷の激震よ────ボルト・サウンド!」

 次の瞬間、空気が震えた。
 まるで山が崩れ落ちたような、いや、雷が落ちた時のような、腹の底に響く音が鳴り響いたのだ。

 詠唱の内容から、どんな魔法かは予測できたので俺はあまり驚かなかったが、フォレストウルフ達は違う。
 自然の脅威を象徴する轟音におびえ、そしてひるんだ。

「よし、今だ!」

 その隙をついて一気に駆けだす。
 気付けば、俺の手をアルフレッドが取って、引っ張っていた。
 流れる景色の中、前を走るアルフレッドの後ろ姿になぜだか心を奪われたように目が離せなかった。

 そのまま走り続け、俺達は開けた場所へ辿り着いた。そこには教会を表すクロスが描かれた白い馬車と、数人の聖騎士達がいた。

「……お、戻ってきたか、グラーチェ」
「その様子を見る限り、間に合ったようだな」
「はい、なんとか」
「あ、あの……」

 これは一体どういうことなのか。なぜあの場にアルフレッドが現れたのか。
 訊きたいことは沢山あったが、質問するよりも先にアルフレッドが答えた。

「私達は今、ルクスの街から司祭様を聖都に護衛している途中だったんだ。
 周囲への警戒として、探知魔法を使っていると、誰かが1人で魔物と戦っているようだったからね。
 司祭様の命を受けて、私が救援に向かったんだよ」
「そ、そうなんですか……ありがとうございます。助かりました」

 頭を下げる俺に、アルフレッドは朗らかに笑った。

「礼は司祭様に言ってくれ。司祭様が言ってくれないと私も動けないからな」

 すると馬車の窓から、人の良さそうな年配の女性が顔を覗かせて手を振ってきた。
 慌てて頭をさげる。
 もし、彼女が指示を出さなかったなら……。

 いや、考えるのはよそう。今は助かったことを喜ぼう。

「さて……私達はこのまま聖都へ戻るのだけど、君はどうする?」
「……あ、同行させてもらってもいいですか?」

 まさか再び襲われるなんてことはないと思うが、より確実な安全が得られるんだ。

 アルフレッド、もとい司祭様も快く承諾してくれたので、同行させてもらった。
 まあ、結局その後は魔物に出くわすこともなく、一行とも外門の所でわかれたのだが……。





 さて、時は今日現在に戻る。
 結局なぜもやもやとしているのかというと、俺を助けたアルフレッド・グラーチェが原因だ。

 はっきり言おう。俺はアルフレッドが苦手だ。
 俺が持っていないものを全部持っていて、そして諦めた夢、聖騎士として働く彼に嫉妬しているのだ。

 学校を卒業し、全く別の道へと分かれたことで良くも悪くも彼のことを忘れていたのだが……

「あー、ままならない……」

 別に張り合いたい訳ではない。倒したいとか、勝ちたいとかとも思わない。
 しかし、どうしても比べてしまうのだ。情けない自分と……。

 そう例えば、アルフレッドは美しい。どこか人間離れした、性別を超える魅力を持っている。
 「美しい」という言葉で表してしまうと陳腐に聞こえるかもしれないが、彼の容姿を一言で言い表すと、やはり美しいが1番あっていた。

 それから、アルフレッドは背が高い。特段巨漢という訳でもないが、俺と違ってひょろりともしていない。騎士学校の共同入浴場で見た彼の身体は、しっかりとした筋肉で覆われていた。

 昨日も、その整った顔を見上げることしかできなかった。

 せっかく忘れていたのに、あれからずっと、あの男のことが頭から離れないのだ。
 久しぶりにその腕前を見せられ、一層突き放された感覚だ。

(精進しないとなぁ…………)

 依頼でも受けるか……そう思い、コップを煽った時だった。
 周囲が突然静まり、そしてざわめき出したのだ。
 何事かと思いギルドの出入り口の方に視線を向けた俺は、そこにいる人物を見て思わず固まってしまった。

「……あ、アルフレッド……?」

 明らかにこの場にそぐわない、白銀の鎧を纏った、金髪碧眼の美丈夫が、そこにいた。
			

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