死霊術師は笑わない
6.6話
早朝、迷いの森は深い霧に包まれる。 事の真相をも隠さんばかりの濃い霧だが、それには魔力がこもっているという。 その影響か魔物達は力を増し、迷い込んだ人間に容赦なく牙を向けるという。 そんな危険な霧の中、「狼を追うもの」という冒険者パーティが周囲を警戒しながら進んでいた。 男2人、女2人のパーティで、今は臨時で女がもう1人同行していた。 女……というより、少女。10に行くか行かないか程しかない、幼い少女である。 どこかギクシャクとぎこちなく歩くその少女の口には、猿轡がされていた。 しかし手足は自由である。 なぜそうなっているかと言うと、この金髪の少女が意思を持つアンデッドで、普段は理性を持って行動できるからである。また、食肉衝動に駆られた時のために猿轡がされているのである。 少女は薄い金色の長い髪に、どこか光のない青色の瞳をしていた。 恐ろしいほど人間離れした美しい容姿をしているが、それとは対象的にその身に纏うのは薄汚れ、所々焦げて穴の空いた大きな一枚布だけだ。 「……もうすぐ、迷いの森を抜ける」 「狼を追うもの」のリーダー、ギルが、そう呟いた。 ほんの少し、パーティメンバーの間にある空気が軽くなる。迷いの森の霧は魔物を気配を隠すため、気付いたら囲まれていたなんてこともある。迷いの森にいるということだけで、冒険者にとっては大いに脅威となるのだ。 「さて、アガミ。森を抜けたら、いろいろ検証していく。こちらの指示には従ってもらうが、かまわないな?」 その問いに、猿轡をされたままの少女はコクリと頷く。 実際、アガミとしても検証しておきたいことはあるのだ。 本来のアリスの蘇生術とは違う形で発動した死霊術が、どう体に影響したかわからないのである。 例えば、最上級の蘇生術で復活した魂は日の光に当たったり、神聖術を受けてもなんの問題もないが、超低級のゾンビならば、魂が肉体から抜け出し、ただの死体に戻ってしまうのである。 まさかあの状況(最高の素材と、万全の準備と、完璧な魔法陣)から最低級のゾンビになっているとは考え辛いが、可能性は無きにしも非ずである。 いくつかの検証はしたかった。 そうしてしばらく歩き、森を抜けると霧が嘘のように晴れた。これが迷いの森の性質である。 「生餌の準備はいいか?」 「ええ」 「よし、じゃあ猿轡を外すぞ」 もしも急に正気を失って襲い掛かってきた時のために、道中捕まえたうさぎをいつでも差し出せるよう準備をし、ギルはアガミの口元の布を取り払った。 もちろん、外された途端暴れだすこともなく、そこでひとまずほっとした空気が流れた。 「まずは……日の光に当たってる訳だが、なにか変わった感じはするか?」 早速とばかりに、検証が始まる。 アガミは首を振り答えた。 「とくに、なにも」 「そうか……じゃあ、ちょっとその場で跳ねたり走ったりしてみてくれ」 「ん」 言われた通りぴょんぴょんしたり、走ってみる。が、ものの数歩のところで無様にもぺしゃりと転んでしまった。 「うっ……やはり、うごきが」 「だ、大丈夫アガミちゃん!」 アガミが思うように動かない体を嘆いていると、起き上がるよりも早くパーティーのお姉さん的立ち位置のカーラが駆け寄ってきた。 「ん、もんだい、ない」 そのカーラの手を借りながら起き上がるアガミだが、その時にカーラの女性らしい細手に握られた自分の手が、さらに小さくて頼りないものであることに気付き、何とも言えない複雑な感情を抱いた。 「っと、ちょっと見せてくれ」 そこに近付いてきたギルが跪き、アガミの膝と掌を注視した。 「傷は……あるな。だが血は出ていない。まあ、顔や肌の色から血が通っていなさそうなのは予想がついていたが、こうして見ると……いや、なんでもない」 おそらく「こうして見ると、改めて生きてはいないんだな」と言おうとでもしたのだろう。しかし目の前の化け物が、あくまで極悪非道な実験に巻き込まれた被害者であることを思い出し、言うのを控えたに違いない。 しかし当の本化け物は、それを言われたとしても何の感慨も抱かなかっただろうが。 「痛くない……?」 「あ……いたく、ない」 しかし完全に母性を発揮しているカーラは、純粋に少女を心配する。 そこで初めて、アガミは衝撃は感じたが、痛みは感じていないことに気が付いた。 もっとも、これまでの多くの実験から、恐らく痛覚は機能していないだろうことは分かっていたが、こうして実感することで、改めてその事実を認識したのだった。 「それじゃあ……これから君のその傷に、回復術をかけようと思う。だが、これは無理にとは言わない。どうする?」 そこで、ギルはそんなことを言い出した。これはおそらく、死霊の類には神聖術が(攻撃として)効くという噂があるからだろう。 それについては、日の光に当たってもなんの影響がなかったことから問題がないことが分かっていたアガミだったが、信用を勝ち取るためにあえて何も言わず、ただ無言で頷いた。 「じゃ、じゃあ……かけるね。なにか痛いとかあったら、すぐ言ってね」 「わか、た」 カーラが傷口に手をかざし、目をつぶって神に祈る。 その朗々とした声が空に溶けていくように響き、ほうっと、光が灯る。 そして──。 「あ、治っていく……」 その光に照らされた傷口は、ゆっくりと塞がっていった。 「……どうやら、その死霊術師は意思のあるアンデットだけじゃなく、神聖術も効かないアンデットを作っていたみたいだな」 そう、ギルは結論付けた。 しかし、実際は違う。 低級のアンデットは、死肉に魔力から作った疑似魂を込めることで動くモンスターであり、日の光や神聖術など、『魂が還る道しるべ』を受けることで肉体から魂が抜け出すので、結果的に聖なるものが効くというだけなのである。 そして、アンデットは代謝をしないため傷は塞がらず、むごたらしい姿をしているのだ。 しかし、今回アガミが作り上げたこの体は、そういったアンデットとは格が違う。 正真正銘の魂が宿った、魔力によって『生きる』体なのである。 成長・老化こそしないものの、食べたものから栄養素を分解・吸収し、自らの肉体の糧とすることができる存在なのである。 ただし血液や電気信号といったものが、魔力に置き換わっているので、感覚が鈍く、また血・それからできる分泌物が出ない体だ。 というわけで、細胞の分裂を促す神聖術は、回復を促しこそすれど、攻撃にはなりえないのである。 そこのことを改めて確認し、己の最高傑作である「アリス」の体が、想像通りのスペックであることに、満足気な笑みを浮かべるアガミであったが、はたから見ると、自身が一般的に言われるアンデットよりかは人間の体に近いことに安堵する少女に見えていた。 それを見ていた「狼を追うもの」のメンバーは、少女に対して良い感情を抱いていなかったクレイまでもが、少し涙を誘われたのであった。