秋花火

「……もと男の秋には、負けないから」
「──ああ。けど、男同士だから知ってることもある。冬美には負けないよ」

 その言葉には、侮辱的な色がなかった。いっそ清々しいまでの信頼が伺える。
 オレと目の前の少女、冬美は、所詮幼馴染みという関係だ。しかしだからこそ、恋愛的な感情を覚えたことは一度もない。
 そして先ほどの冬美の発言。オレが性同一性障害で、性転換手術をした──という訳ではない。
 今年の三月、オレは女になった。見た目どうこうではなく、生物学上で女になったのだ。

 ある朝、目が覚めたオレは違和感を覚えた。なんとなく、視界が低い。なんとなく、手が小さい。肌が白くて、ゴワゴワとしたムダ毛が全然ない。首周りが、長い黒髪で覆われている。パジャマがぶかぶかで、脱げかけて見える四肢はほっそりとしている。
 ──声を、出してみる。ハスキーボイス、とでも言うのか。男が無理して出せるくらいの高さだった。
 ──胸に、触れてみる。硬い突起の裏側に、UFOの様な円盤があった。それを押してみると、痛みを覚えた。鋭いものでは無いが、経験したことのない痛みだ。
 ──股間に、触れてみる。普段は、そこにある事を忘れてしまうほどに馴染んでいたそれが、今は探ってもどこにもない。
 ──部屋をでて、転びそうになりながら階段を降り、洗面所へ向かう。途中、妹とすれ違い、何かを叫ばれたがそれ所じゃない。扉を開け、大きな鏡に映ったのは、小柄な少女だった。

 ふわふわとウェーブのかかった黒髪が腰まで伸びていて、眉の辺りで真っ直ぐに前髪が切りそろえられている。そのすぐ下からこちらを覗く目は猫の様で、記憶にある自分のそれと似ていた。しかし、異様にでかい。
 そんな少女は、追いかけてきた妹とよく似ていた。身長も大して変わらない。
 明らかに、血の繋がりが伺える容姿をしていた。
 ──俺はその日、女になったのだ。

 ──家族には、見せられなかった。
 急いで中学時代のジャージを引っ張り出し、それでも余る裾や袖を折って、家を飛び出した。
 その間、妹は俺が兄だと気付いたのか色々と訊いてきたが、正直言ってこんな姿、知り合いには見せたくなかった。

 ……まして家族には。
 部屋に閉じこもるフリをして、運動靴を履き、窓から車庫の屋根に出る。そして家の塀にそっと移り、地面へと移動する。
 こっそり家を抜け出す時に使っていた経路だ。最近は体が重くなったせいか、はたまた車庫が古くなったせいか、屋根が嫌な音を出すので諦めていたが、この華奢な体のおかげで問題なく抜け出すことができた。
 とそこで、部屋の窓から妹顔を出して、こちらに気付いた。妹は高い所が苦手だ。同じ経路では追ってこられないだろう。
 俺は、家から、家族から離れようと、走り出した。

 そして数分後、近所の公園で息が上がってベンチに座り込む黒い少女がいた。

 俺だ。

 予想以上に体力が落ちていて、全然遠くまで走れなかった。しかも公園について気付いたのだが、財布も何も持ってきていないのだ。
 くぅっと、腹が可愛らしい音を立てるのを、恨めしそうに睨むことしかできない。

 悔しかった。訳が分からなかった。なんでこんな事になったのか、どうして自分がこんな目に会わなきゃならなかったのか。ただただ、溢れ出てくる涙が熱くて、蹲って感情を抑える事しかできなかった。

 そんな時だ。あいつは現れた。
 親友だった。あの男は。

「春香……ちゃん? え、髪伸びた……?いや、それよりも、なんで泣いてるんだい?」

 心配そうに顔を覗き込んで来ようとする親友。妹の春香と勘違いしている様だったから、あえて何も言わなかった。
 ただただ目をそらして、泣いていたことを誤魔化すように目元を拭った。そしてその直後、親友の口から出た言葉に、思わず反応してしまった。

「もしかして……秋人、なのか……?」
「──な、なん、で……!?」

 取り繕う余裕もなかった。

「いや、あくびとかで目元擦る時、グーにした小指で拭う癖、同じだったから……」

 してしまった以上、もう言い逃れはできなかった。
 俺は、ポツリポツリと、朝起きた事を、あいつに話すのだった。あいつは、それを笑うでもなく、真剣に聴いてくれた。

「……おまえ、バカだろ」
「っはあ!?」

 あまりにも簡単に信じるこいつがおかしくて、いつか美人局にやられるぞ、なんて。
 ──気付けば俺は、笑っていた。

「これからどうするつもりだ?」
「わかん、ない……だけど、学校には行けない」
「ばか、学校には俺から言っとくよ。それよりもだ、おばさんやおじさん、それに春香ちゃんにどう説明するつもりなんだ?」
「…………家には、帰らない」

 正しく言えば、帰れない、だ。目の前の親友──夏樹には、結果的にバレたにしても、自然でいられた。だから、良い。
 けれど、家族の前で、どんな顔をすれば良いのか……俺には全く分からなかった。

「──はあ、しょうがねえ。秋人、冬美んとこ行くぞ」
「……え?」

 冬美、俺の幼馴染みで、近所に住む少女だ。面倒見が良く、それでいて恋に悩む姿も見せる、俺にとっては親しい存在。あまりに存在が近すぎて、恋愛感情を抱いたことは一度もなかったし、これからもないはずだ。なにせ、冬美の想い人とは、この目の前の男、夏樹だからだ。
 俺は二人の仲を取り持つため、東奔西走させられたものだった。

「──冬美、冬美か」

 ……確かに冬美なら、変な気を使わずに接せられる気がした。

「よし、じゃあ行くか」



「──信じられる訳ないでしょ」
「……」
「はっきり言って、貴女春香ちゃんでしょう? どうやって髪伸ばしたかは知らないけど、あまり歳上はからかわないで」
「お、おい……」
「夏樹君も、騙されないで。冷静に考えて?男が女になるなんて、あるはずないでしょう?」
「そりゃ、そうだけど……」
「はぁ……とりあえずおじさんとおばさんの所に連絡するわ」
「……! そ、それだけは待ってくれ!」
「あのねぇ、春香ちゃん。ここは家出娘の避難場所じゃないの」

 冬美は、苛立っているみたいだった。
 一応話は聴いてくれたけれど、信じる気は全くないみたいだった。
 ──冬美なら、信じてくれると思っていた。というより、疑われるとすら思っていなかった。しかしどうだろう、この結果は。
 
 心配……はされている様だった。
 けれどそれは、幼馴染みが突然の性転換に陥っているのを心配しているのではなく、幼馴染みの妹が、訳の分からない事を言っているのを心配している風に、俺は感じた。

「ちょ、ちょっと、なに泣きそうになってんのよ……」
「な、泣きそうになんか、なって、ない……」

 気付けば、また目頭が熱くなっていた。この体は、涙腺が緩いのかも知れない。
 ただただ信じられないのが悲しくて、認められない胸のもやもやが溢れ出した。

「────ああもう! しょうがないわねぇ!」
「えっ……?」
「そんな、泣くほどな状態の子、放って置ける程、私冷徹じゃないわよ……」
「じゃ、じゃあっ……!」
「……勘違いしないで」

 頬が笑みの形に歪んで行く俺に、冬美は鋭い視線を向けた。

「まだ、信じた訳じゃない。正直言って秋斗が女になったって言うよりも、春香ちゃんがイメチェンして騙して来てるって方が百倍信用性あるし」
「そ、そうだよ、な……」
「けど、とりあえず今日は家に泊まっていきなさい。あんたん家にも連絡しないでおいてあげるわ」
「あ、ありがとう……!」

(……はあ、男って言うなら、そんな可愛らしい顔しないの)

「ん? なんか言ったか?」
「……なんでも、ない。それで──夏樹くん、これからどうする、の?」

 とそこで、急に乙女の顔になる冬美。すっかりいつもの冬美に戻ったようだ。
 やはり冬美も、突然の事態に驚いていたのかも知れない。

 これが、三月の、ある日の話だ。

 そこから時は流れた。
 冬美の家で過ごしつつも、三日程で家に帰った。
 目も合わせられない俺に、母さんや父さん、春香は笑顔でおかえりと、言ってくれた。
 冬美から、話を聴いていたのだろう。

 それでも、あっさりと今の俺を受け入れてくれたのは、不思議でしょうがなかった。

「どんな姿になっても、息子だってことくらい、分かるわよ。それに、春香にそっくりだしね」

 そう、母さんは言ってくれた。
 その後は、難しい手続きとかは、父さんがやってくれた。実際何をどうしたのかは、しつこく訊いても「お前は気にするな」
と頭を撫でて来るだけだった。
 そして四月から、俺は俺として、学校に通う事となった。

 一応、名前は秋奈となり、住民票の記載も女性となった俺だが、以前の繋がりを全部捨てる勇気はなかった。もちろん今の自分を受け入れて貰える勇気もなかったけれど、夏樹や冬美の説得もあって、正体を晒して学校に通うこととなったのだ。
 最初は、全然ダメだった。受け入れてもらう以前に、俺が皆を信じていなかった。下心があったのか善意だったのかは分からないけれど、そうして話しかけて来る人にもふてぶてしい態度をとってしまう。けれど、夏樹が俺にふざけて、いつも通り話しかけてくれたおかげで、俺は俺だと。何も変わっていないとクラスメイト達に伝えることが出来た。
 クラスの女子連中からは、更衣室はもちろん、トイレも共用したくないと言われた。流石の夏樹も、女子のデリケートな問題には口出しできなかった様だ。しかし今度は、冬美が動いてくれた。
 正直言って、やり方はサイテーだ。着替え最中の女子更衣室に俺を引っ張って行って、女子達の目の前で俺を剥いたのだ。

 次の日は学校を休んだ。
 ……けれどその次の日、ビクビク怯えながら登校した俺を待っていたのは、妙に生暖かい、小動物を見るかの様な女子からの視線だった。
 結局、それからはトイレも女子更衣室も普通に使わせてもらえた。
 そうして今オレは、男の頃とは少し……いや、かなり違った日常を楽しんでいる。
 二人のおかげで、オレはこの何気ない、当たり前を手にする事が出来た。
 感謝してもしきれない程だ。

 二人には同じだけ感謝しているのだが、どうも最近、何かがおかしい。何がおかしいかは、自分でも良くわからない。ただ、最近、妙に気になるのだ。

 夏樹の言動が。

 何度も助けて貰ったし、何度も迷惑をかけた。かっこ悪い姿を何度も見せた。
 クラスの連中との関係は変わっても、夏樹や、冬美との関係は変わらない。そう、思っていた。

 ……なら、どうしてだろう。以前と同じ様に、街を一緒に歩くだけで、なんとも言えない、暖かい感じがするのだろう。夏樹に、アクセサリーなんかが似合っていると言われて、妙に心が弾むのは。夏樹から、変に見られていないか、視線が気になるのはどうしてだろう。

 ……どうしてだろう、以前と同じ様に、夏樹との進展を冬美の口から聞く度に、胸が針で刺された様な痛みを覚えるのは。

 こんな物を夏樹から貰ったという冬美に、心からの笑顔を送れなくなったのは、なぜだろう。

「──オレ、夏樹のこと、好きだわ」
「…………」
「親友として、と言うより、異性と、して……」
「…………」
「……変、か」
「変」
「……」
「変に決まってるでしょ? あんた男なのよ?」
「だけど、今は女だし」
「それに、背の低い妹系が好きなんでしょう? なんでよりによって、背の高くて兄系の夏樹くんを好きになるのよ」
「……わかん、ない」
「本当に変だわ。変すぎ」
「……」
「こっちが悔しくなるくらい、夏樹くんとあんなに楽しそうに会話して、どうして今まで自分の気持ちに気付かないのよ……!」
「え……?」
「──あぁ、もう。真面目に相手してるこっちがバカみたい。……良い? 別に秋奈、あなたが誰を好きになろうが私には関係ない。だけど、…………絶対に負けないから」
「お、おう。オレだって、負ける気はないぞ!」
「よく言うわ。この前夏樹くんから映画誘われて、あたふたと相談してきた小娘が」
「なっ……!?」
「もう一回言うけど──」

 冬美は不敵な笑みを浮かべて、宣言した。

「……もと男の秋には、負けないから」
「────ああ。けど、男同士だから知ってることもある。冬美には負けないよ」

 オレもそれに不敵な笑みを返すのだった。

 季節は秋。オレが女になってから、既に半年以上が経過している。
 今日は、秋祭りが近くの神社で行われている。

 一人の男――オレの親友であり、冬美の想い人である夏樹を巡って、約三ヶ月間、オレたちはしのぎを削って闘ってきた。
 基本的には、家事や女子力では冬美に負けるものも、元男同士というアドバンテージで勝つ事あった。
 気付けば、オレの貧弱な女子力がものすごい早さで成長する程に、激しい闘いだった。

 そして二週間前、オレと冬美は放課後、教室に二人残った。

「……で、今日はどうしたんだ?」
「ねえ、秋、あなた再来週、何あるか知ってる?」
「え? フルーツバイキングとか……?」
「はぁ、そんなことだろうとは思ったわよ」
「な、なんだよう、教えてくれよう……」

情けなく降参ポーズを取るオレに、冬美は高圧的な目を向ける。

「秋祭り! 毎年この季節、あそこの神社で行なわれるちぃちゃいお祭りよ!」
「お祭り? それがどうかしたのか?」
「あのねぇ、あんたバカァ? 告白する絶好のチャンスじゃない!」
「こくはく……ふぇっ!? えっ!? なつきに──ふぐっ」
「ばっ、あんた声大きいわよ!」

 冬美はオレの口を押さえながら、周囲を注意深く観察する。
 鬼気迫る視線に、思わず固まってしまう。

「──そう、秋祭り。天気は悪くならないみたいだし、夏樹くんも予定ないって」
「ふむふむ……それで──」

 確認する様に訊くと、冬美は力強く頷いた。

「──告白、するわ」

 喉が、鳴った。それは期待だったのかも知れないし、不安と緊張だったのかも知れない。

「……秋、あなたはどうするの?」
「お、オレは……」

 正直に言うと、心の準備なんて出来ていなかった。心のどこかで、この三人でいつまでも楽しくやっていくのだろうな、なんて。そんなあまっちょろい事を信じていた。
 いや、信じてたんじゃなくて、信じたかったんだ。

「オレ、は……」
「──はぁ、良いわ。別に。秋がどうしようが私には関係ないんだから」

 そうのたまう彼女が、少なくとも平常心でそういって言っていないことは、すぐに分かった。
 俺よりは大きい、けれど確かに小さな掌を、爪が食い込むくらいに握り締めていたんだ。
 そんな冬美の様子を見て、オレも、覚悟が出来た。

「……ごめん、オレ、まだまだお子様だったわ」
「あ、秋……」
「オレも、決めた」

 あぁ、冬美もオレも、同じなんだなぁ。
 気付けば無意識の内に、痛いくらいに拳を握り締めている。

「秋祭りで、オレも告白する」



 まず、秋祭りを三人で回る。七時からはぐれた体を装って、オレは別れる。八時頃、神社の社の前で待つと、夏樹に送り、夏樹が一人で来たら、オレが告白する。もし冬美と二人で現れたら、スッパリと諦める。
 そう、話し合って決めた。
 それからオレ達二人は、大型ショッピングモールに浴衣を買いに行った。

 フルセットで二万円もしない。と言っても、バイトもしていないオレ達には結構な出費となる。──はずだったのだが、何故か張り切ったのは双方の母親だった。快く諭吉さんを三枚、手渡してくれた。残りで、美容室に行けという。
 オレと冬美は顔を見合わせて、おかしくて笑ってしまった。
 やってきた大型ショッピングモールは混雑していて、浴衣コーナーにも人が割といた。そんな中やって来たオレ達は、互いに似合う柄を選びあった。

 結果は、冬美は黄色地に紅い金魚が泳ぐ浴衣。オレは薄水色地に、白い菊の花が咲く浴衣を買うこととなった。
 美容室で買った浴衣を見せつつ、これにあった髪型を──オレが適当に注文する隣で、冬美は細かに注文する。

 流石に、そこまで女子としての経験の差は埋まってないんだ……。

 秋祭り当日。
 オレと冬美、そして夏樹は学校の前で落ち合った。それから夏樹を真ん中に、神社への道のりを歩いた。
 まだまだ日没までには時間があるのに、緊張で無言になってしまったオレに変わり、冬美のやつは楽しそうに夏樹と話していた。

 お祭り自体は、あまり楽しめなかった。

 よくよく考えてみれば、夏樹に自分をアピールする時間は、あと数時間しかないんだ。
 誰だ、まだ時間があるとか言ったやつ!

 なんとなく冬美に置いていかれた気がして、どこか焦っていた。慣れないことにぶりっ子してみたりと、正直空回りしかしていない気がする。
 いつもはそっとフォローしてくれる冬美も、今日ばかりは無言で見守るだけだ。
 しかし無情にも、時間は過ぎて行く。気付けば、辺りは暗くなり始めていた。

「っと、ごめん。ちょっとわたあめ買ってくる!」

 ちょっと「わたぁめ」と可愛らしく言ったのは、最後の悪あがきだったのかも知れない。

「え、おい秋奈──」

 オレを追うその声から逃げる様に、オレは人混みに体を滑り込ませた。

 ──さて、あとは待つだけだ。

 人混みを離れ、上へ上へと。それと同時に、この小さな胸の高鳴りも、大きくなって行くようだった。
 お祭りは、神を祀るための行事だったはずだ。なのにお祭りに訪れた人々は、社まで来ようとはしない。

 なんだか現実、日常的と切り離された様な、妙な静けさが境内を包み込んでいた。

「っふう……もう秋だってのに、暑いなぁ」

 果たして暑いのは気温なのか、自分自身なのか。
 賽銭箱の横に座り、頭を預ける。

「告白……夏樹に……」

 なぜか、あれだけうるさかった鼓動が、静かになっていた。ポカポカと、暖かい何かが胸の内にある様で、とてもふわふわとした感覚を覚えていた。
 空を、見上げる。

「ほし、きれいだ……」

 とても穏やかな心に、その光景は眩しく射し込んだ。
 こんなにもたくさんの星がある中で、この小さな小さな地球の、この小さな場所で。こんなにも大きな事件が起こらんとしているんだ。

(少なくても、オレにとっては──あっ)

 最後のは、声に出ていたかも知れない。
 星々が瞬く夜空の中、一際大きな星──いや、火の玉が昇って行く。
 そして刹那、太鼓を叩く様な音を立てて花開く、鮮やかな花火。
 八時告げる、鐘の音でもある。

「『ごめん、疲れて神社の上まで来ちゃった。迎えに来て』…………っと」

 送信を押す。すぐに既読が付き、待っていろと返信があった。
 冬美とはどうなった? そう何度送りたくなったことか。



 石階段からアイツの姿が現れた時、一瞬呼吸が止まったんじゃないかと思った。
 隣に冬美の姿がない事とは、関係ない。むしろそれよりも、花火によって顔を照らされる夏樹表情が、いつもより大人びて見えたからだ。

「よ、よぉ……ごめんな、呼び出して」
「気にすんな。まさかあんなに混んでるとはな……大丈夫だったか? 変なオッサンに声掛けられたりしなかったか?」
「お、おうよ! バッチリよ!」

 何がバッチリなんだろう。自分が訊きたい。泣きたい。
 
「ほ、ほんとに大丈夫か?なんか顔赤いぞ?」
「ほへっ!?」

 たしかに、顔……というより全身が、火で炙られたように熱い。
 心臓も、思い出したかの様に激しく暴れ回っている。

「だ、だいじょうぶーだいじょうぶー……」
「お、おい秋奈?」
「だいじょうーぶ、だいじょーぶ……………………な、訳、ないじゃん」

 涙で、視界が歪む。もう、訳が分からなくなった。
 ただ、胸から溢れ出る言葉を、この口から出し切るしか、楽になる方法はなかった。

「なつき」
「ど、どうしたっていうん────」





   「すき」





 夏樹の顔が、驚愕に染まって行く。
 ああ、言ったんだ。そう思うと、心が少し、軽くなった。
 もう、何も怖くない。そう心から思うと同時に、今まで一番の笑顔が零れる。

 ──もしかしたら、冬美が振られたとしても、オレが受け入れられるとは限らない……そんな可能性も、もちろん分かっていた。それでも、今まで心の中に押し殺して来た気持ちを伝えられたことに、涙が溢れた。

 もし、断られたら、冬美と慰め女子会でもしよう……。
 オレがそう思い、足元を見つめていると……俺さ、と夏樹が口を開いた。

「──元男の親友の気持ちとか、全然想像もつかない」

 それはそうだろう。オレが逆の立場だったとしても、全く想像もつかない。

「だからさ、今まで、お前が……その、めっちゃ可愛いことしても、複雑な気分だったんだ」

 それも、分かる。

「もしそこで可愛いなんて褒めたら、嫌がるんじゃないか、とか……」
「えっ、そっち?」
「……他に何があるんだよ」
「いや、単純に女の子なら可愛い行動でも、元男がやってると思うときもいとか……」

 正直予想の斜め上すぎたぞ……。

「……いや、お前は可愛いよ。めっちゃ」
「お、おう……ありがと」

 褒められた……可愛いと。
 嬉しすぎる……!

「それでよ……こんな鈍い俺だから、これから先、お前の気持ちを分かってやれなくて、傷付けることもあると思うんだ……」「…………」

 それは、どういうことだろう。傷付けることあると思う。だから付き合えない。そういうことなのか。
 真意を確かめるために、視線をあげる──と、そこには、顔を真っ赤にして口をぱくぱくとさせている夏樹の姿があって────



「俺も……お前が好きだ。秋奈」



 ずっと、ずっと。心の底から待ちわびていたその言葉に、とうとう涙が抑えられなくなった。


「オレ、オレ…………男だったから、キモいとか、思われるんじゃないかって……もともと女の方が良かったんじゃないかって……」

 涙も、しゃっくりも、──言葉も、どうしようもなく止められなかった。

「最後まで、言わせてくれ…………」

 俺の肩に手を置き、しっかりと見つめてくる夏樹。
 今までに見たことがないほど、凛々しい顔をしていた。

「俺と、付き合ってくれ」
「────はい」

 顔が、ほころんだ。そして、気持ちのままに一歩、足を進め────彼との距離が、ゼロになった。






「なあ……」
「どうしたんだ?」
「……もしかして、女のオレの見た目が好みだっただけとか……」
「バカ言うなよ。もしお前が元々女だとして……それで出会ってたとしても、こんなに好きにはならないよ」
「お、おう、そか……うん、ありがと……」

「あーもう! 人の目の前でイチャイチャするの、やめてくれる!?」
「あ、ごめん……」

 一週間後、オレたちは机を並べて弁当を食べていた。以前と同じように三人で。
 夏樹の弁当は俺が作っている。まあ一品くらいは冷凍食品に頼っているけど……。
 冬美だったが、あの日はその後姿を見せず、メールで先に帰ると連絡があった。
 次の日顔を合わせた冬美は、まぶたを随分と腫らしていたが、妙に晴れ晴れとした顔をでこう言った。

「あーなんか、一晩泣いたらスッキリしたわ。で、告白成功した後はどうなったの?」

 心配する気持ちはどこかへ吹っ飛んだ。

「な、なんでそのこと──!?」
「ふふっ、夏樹くんが私を振る時、なんて言ったと思う?」

 え、なんだろうか……。
 分からないと首を振ると、冬美は呆れたように言った。

「『すまない。俺、好きな子がいるんだ』──ですって」
「そ、それって……」
「もう、それ以上言わせないでよ……まあ、せいぜいイチャイチャしてなさいよ」
「お、おう……」
「別に気にしなくても、いい男見つけてあんた達より幸せになってやるわよ。だからほら、泣かないで──」

 気付けば、また昨日散々流したはずの涙がまた溢れていた。

「バカね。この後夏樹くんと会うんでしょ? それでその顔見たら、私がいじめたみたいじゃない。ほら。ハンカチ使って……」

 なぜだかオレが慰められ、冬美は笑っていた。

 それからは、なんだかんだで今まで通りの関係になった。冬美はすごい。もしオレが冬美だったら、一緒にはいられないかも知れない。

 変わったのは二つ。冬美が夏樹にあまりベタつかなくなったこと。オレと夏樹がイチャイチャするようになったこと。
 それは世界からしたら──なんて、学校内だけで見ても小さな変化だ。
 だけどそれは、オレ達にとっては大きな変化で、そして変わらない、大切な物を手に入れることができた。そんな秋だった。

 オレの手から弁当を直接食べる夏樹を見て、それを呆れたように見てさっさと箸を進める冬美を見て。
 オレはゆっくりと理解することが出来た。

「夏樹……好き」
「ああ、俺も好きだぞ、秋奈」

 今日も、変わらない秋の一日が過ぎていく。

			

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