ドラゴンと少年

「父さん、どうして父さんは獲物を獲らないの?」
「そうだな……生きてるものには、家族がいる。動物を捕まえるってことは、その家族と永遠の別れをさせるってことなんだ」
「でも、おかしいよ。父さん本当はすっごいのに、街のみんな、父さんのこと駄目猟師って呼ぶんだ」
「すまんなぁ……けど、ソルにもきっと分かる日が来るだろう」
「ふ~ん……」


 記憶の一ページ、父とのそんな会話が蘇った。 
 その時は、納得がいかなかった。街一番の弓の使い手で、狩りについての豊富な知識を持ち、狙った獲物は逃がさない。家にはその活躍ぶりから、国王様から贈られたトロフィーまである。
 そんな輝かしい過去を持つ父がどうして獲物も狩らずに、採取や採掘しかしないのか。僕は父を失った時、その理由を理解した。

 それまで当たり前にあった日常、その大きなワンピースが突如失われたんだ。
 その溝を埋める努力はできても、完全になかったことにはできない。そのことを身をもって経験した。体験してしまったんだ。

 それから僕は、獲物を狩ることをやめた。



「気を付けて行ってくるんだよ」
「うん、わかってる。母さんもあんまり無理しないようにね」

 ベッドで上半身を持ち上げ、弱々しく手を振る母に別れを告げる。

 父がこの世を去って、三年。僕は父と同じように森に入り、薬草や鉱物を採っては街で売り、生計を立てていた。
 母は父を亡くしたショックで寝込んで以来あまり回復せず、家からまともに出ることすらできなくなっていた。

 キィと軋むドアを押して外へ出る。今日はうっすらと霧がかった天気だ。
 いつもと違う空気の香りを一度、大きく吸い込むと──僕は森へと踏み出した。



「おかしいな……今日は静かだ」

 しばらく森を歩き回っていたけれど、ずっと違和感を覚えていた。その正体が何なのか気付くのに時間はかからなった。
 音がしないのだ。
 別に生き物の気配がしないわけではない。しかし皆何かに怯えているかのように息をひそめている──そんな印象だ。

 熊でも出たか……念のために背中に掛けていた弓を左手で持っておく。あくまで、身を守るために。
 矢は二種類。一つは矢じりが丸い石の、動物を追い払うための物。もう一つは矢じりが付いた最終手段用の物だ。
 自然界では、ちょっとした傷を負うだけで生きて行けなくなることが多い。単に手足を怪我すれば獲物を負う、もしくは天敵から逃げる速度が遅くなる。それ以外でも、傷口から菌が入り込んで、腐ってその部分から死んで行ったりする。
 そのための、先端が尖っていない矢を用意してあるのだ。

 僕もまた自然と息を殺し、そろりそろりと歩みを進めた。

 この時期だと、独り立ちした子熊がこの森にやってきたのか……。
 この静けさの原因が熊だとしたら、僕にできるのはただ一つ。熊を驚かせて、この森から追い出すことだけだ。

 そうと決まれば、とにかく殺傷能力のない罠を仕掛けていくしかない。
 驚かせるにはどうしたらいいだろう。大した傷にならない程度の痛みを与えたり、あとはそう──落とし穴がいいだろう。
 即興で罠を何種類か考えだし、必要な道具を集めていく。



 森を歩いていると途中、木の幹に抉られるような爪痕を見つけた。

「間違いない。熊だ……」

 そうぼそりとつぶやき、その周辺に罠を仕掛けていく。
 仕掛けた罠は全部で三つ。それぞれを丁寧に、素早く設置していく。

 父さんは弓だけでなく、罠などの狩りの知識も豊富だった。
 優れた猟師だった父。残念ながらその腕前を実際に見ることはなかったが、こうしてその財産は受け継がれている。


 罠を仕掛け終わり、様子を見てその場から離れようとしたその時だ。
 ガサガサと近くの草むらから音が響いたのだ。

 これはまずい。もしかしたら戻ってきたのかもしれない。
 僕は慌てて木の裏に隠れて、そっと顔を覗かせる。

 叢をかき分け大きな影がヌッと姿を現した。その姿を見て思わずアッと声を上げそうになるのをぐっと堪える。
 その影は木の根元に置かれた僕の弁当に気付くと、のそのそと近寄って行った。
 そして、弁当の前まで歩みを進めたその時だ。木と木の間に張られた細い麻縄がその足で押され、罠が作動したのだ。
 曲げられた枝が元に戻る勢いで布袋が飛ばされ、その影の鼻面に当たった。
 その拍子に袋の緒が解け、その中身──粉末状の香辛料が巻き散らされた。

 その強烈な刺激臭に驚きふらついた影は、そのすぐ横の地面に足を置く。するとそこにあった地面は突然消え、片足はずっぽりと埋まった。落とし穴だ。
 しかしそれだけでは終わらない。追い打ちをかけるかのように、その頭上から沢山の太枝が降り注ぐ。

 大きな音を立て土煙が上がり、その巨体が見えなくなる。

 僕はごくりとつばを飲み込み、そっと視界が晴れるのを待った。

 やがて土煙は収まり、哀れにも全ての罠に盛大に掛かった獲物の姿があらわになる。
 ──そこには目を回し、気絶したドラゴンがいた。




 ドラゴン、それは絶対なる強者。食物連鎖の頂点に君臨する存在だ。個体数が圧倒的に少なく、また深い山奥など人の力の及ばない領域に住むため、その姿を見ることは一生に一度あるかないかと言われるほど滅多に人前に姿を現さないのだ。
 硬いうろこに覆われたその皮膚は剣を通さず、鋭い牙と爪は鋼を切り裂く。太い尾は骨を容易に砕き、口から放たれる炎は全てを焼き払うという。
 数十年を生きた熊を超えるほど大きいといわれるドラゴン。しかし僕の目の前でキュ~と鳴き声を上げているそれはせいぜい人程の大きさしかない。

「もしかして、ドラゴンの幼体か……?」

 その姿をよく見ようと恐る恐る近づき、顔に乗っかった枝を除けようとしたその瞬間。
 パチリと大きな瞼が開き、黄金色の瞳と目が合う。

 数秒、時が流れた。
 嫌な汗が背筋を伝った。

「あ、あはは~……ど、どうも」

 思わずそういってから、ドラゴン相手にそんなこと言ってどうするんだ僕ー! と盛大に心の中で叫んだ。
 いつドラゴンが暴れだすんじゃないかという緊張感の中、時間だけが過ぎていく。
 しかし意外にもその目に一向に殺意が宿る様子もなく、むしろこちらに興味津々といった様子のドラゴン。

 この罠を設置したのが僕だということを知らないからだろうか。
 何はともあれ命拾いをした。

「おいお前、どうしてこんな人里まで来たんだ?」

 言葉が通じるかはわからないが、とりあえず話しかけてみる。

「見つけたのが僕だからよかったけど、他の人だったら大騒ぎになってたぞ」

 僕がそう言うと、ドラゴンはクルルルル……と鳴いた。

「親は? はぐれたのかい?」

 そう問いかけると、悲しそうに顔をうつむかせるドラゴン。
 ガラガラと枝を落としながら起き上がると、そのまま森の奥へ歩き出してしまう。

「ま、待ってよ!」

 その姿を見ているとなぜだか放って置けなくなり、思わず声をかけてしまう。その背中がかつての自分にダブって見えたのだ。

「もし一人なら……また明日ここにおいでよ。食べ物を用意しとくよ」

 僕のその言葉を理解したかどうかはわからないけど、ドラゴンはそのまま森の奥へと消えていった。





 その姿が完全に見えなくなるのを確認し、僕はほっと胸をなでおろした。
 とっさに声をかけてしまったけれど、相手は幼体と言えどあのドラゴンだ。その気になればこちらの命など簡単に奪えるんだ。

「それにしてもまさかドラゴンだなんて……」

 実在するのは知っているし、街に降りたドラゴンが大きな被害を及ぼしたことがあったという話も聞く。しかしそれも人伝に聞いただけのことだ。それがこうして目の前に突き付けられていたあの時間は、まるで夢の中の出来ことのようにあっというまで、現実味がない不思議なものだった。

 けれどあの、寂しさを含んだ月のような眼だけは、強烈に脳裏に残っていた。

「……明日また、会えるかな。いや、何言っているんだろう」

 なぜかまたあのドラゴンに会いたい。そう思っている自分がいることに気付いた。ただでさえ滅多に出くわすことのないドラゴンに会ったんだ。それで奇跡的に五体満足でこうして立っていられてるのに、また会いたいだなんて……どうかしてるな。


 僕は自分の両頬をパンっと叩くと立ち上がり、また薬草を探しに歩き始めた。






「ドラゴン? 何を言ってるんだい……こんな森に出るわけないじゃない」
「いや、それが本当に出たんだよ。最初は熊でも出たんじゃないかと思って罠を仕掛けたんだけど、全部に引っかかってね……」
「はいはい、そんなことを言ってる暇があったら手伝っておくれ。今日はシチューなんだ」
「……わかったよ」

 別に信じてもらえなかったからどうということはないが、こうしてはなから信じてもらえないのは釈然としないものがある。
 もしその証拠を見せつけたらどんな反応をするだろう……そんな思いが芽生えてからは行動は早かった。


 たとえばそう、鱗を持って帰るのはどうだろう。あのドラゴンの鱗は間違っても魚や蛇と間違えるような大きさではなかった。真っ黒で大きく、宝石のように輝いていた。あれを持って来て見せれば、嫌でも信じるに違いない。
 しかし僕はこうも思った。
 明日もまたやってくるのだろうか。僕が一方的に同族意識を抱いただけで向こうは何とも思っていないかもしれない。というより十中八九そうだろう。

 もし来なかったら、もうさっぱり忘れてなかったことにしよう。

 僕はそんな思いを胸にしまい、目を閉じて布団にくるまったのだった。


 翌日森を訪れた僕を待っていたのは、昨日と同じあの子供のドラゴンだった。
 人間の大人の背丈ほどある巨体をうまく茂みに隠し、顔だけをモグラのように覗かせているドラゴン。僕がやって来たのを確認し、のそのそと出てきた。

「やあ」

 僕が声をかけると、クルァと鳴き声を上げた。その怖そうな見た目と違い、なかなか可愛い声も出せるみたいだ。
 それから何かを期待したような顔でこちらを見つめてくる……もしかしなくとも、昨日言った食料のことだろう。しっかり覚えていたらしい。

「まあ待って」

 僕は背負っていたリュックを降ろし、中から魚を出した。

「お前が何を食べるか分からなかったから、とりあえず魚にしたよ。どうだい?」

 ドラゴンの前に魚を放り、三歩離れる。何もしないですよーとばかりに両手を上げる。数回、魚と僕を交互に見ると、そろりそろりと近付いてきて匂いを嗅いだ。
 そっと見守るなか、舌でチロチロと舐めた後、勢いよく食べ始めた。

 ほっと息をつく。食べてくれてよかった……。父親はなく、母親も安静にしてなければならない生活を送っている僕には、高い魚を買うお金もなければ立派な魚を捕まえる技術もない。結果として小骨の多い──安い川魚を買ったんだけど、ドラゴンからしたらどうってことないようだ。

 数匹いる魚を夢中に食べるドラゴン。それにしても、いくら幼体とはいえこんなに人を警戒しないのはなんでなんだろう。そんな疑問が沸き上がってきた。そもそも、どうしてこの森に現れたのか……。
「なあ、お前……親はどうしたんだ?」

 僕は耐えきれなくなり、そう声をかけた。
 そう訊ねると、食べている顔を上げて、どこか寂しげな眼で見つめてきた。そしてそのままおもむろに振り向き、魚も残っているというのに歩き出してしまう。
 慌てて声をかけるも、そのまま木々の間に消えて行ってしまった。

「いったいなんだって言うんだ……」

 あまりの豹変っぷりに呆然と立ち尽くすことしかできない僕。あのドラゴンにとってよっぽど触れてはいけない話題だったのか。
 ふと、思い出す。

「お、おーい! 明日も魚、持ってくるからなー!」

 なんとなくこのままではダメな気がして。また、まだ声の届くところにいるだろう。そう考え、僕は鬱蒼とした草むらに叫びかけた。
 その声が届いたかはわからない。けど、あのドラゴンはまた、来てくれるだろう。そんな予感がした。

 僕は散乱した魚を集め片付けると、採取をするために森の奥へと進んでいった。



 しばらくして、僕は大きなイノシシを前に隠れていた。この森の中でもかなりの大きさだ。僕の胸の高さよりある。

 オオイノシシは食料でも取りに来たのか、木の根元に鼻を突っ込んだり、生えているキノコを食べている。──ってあれは、高級食材の赤キノコじゃないか! 今日の目当ての品でもある。
 動物を狩らないと決めている僕にとっては、あれはに宝石みたいなものだ。

 僕は息をひそめながらその光景を見守った。何ことも起きずに追い払えればいいのだが……。

 しかしそんな僕の願いも空しく、もりもりと食べ続けるオオイノシシ。
 思わず落胆し、手を地面についたことが間違いだった。
 地面に落ちていた小枝に体重がかかり、パキっと音を立てて折れてしまったんだ。

 背筋が凍る。

 ギギギと錆びた蝶番のような音を立てながら顔を上げる──と、コチラを睨みつける鬼のような眼と眼が合った。
 イノシシは本来臆病な性格……だから、なにか一つでいい。何とかして驚かせられれば……。
 そう考えたところだった。やっぱり冷静ではなかったらしい。僕は策を考えるために、思わず目をそらしてしまった。それを目の前のイノシシが許すわけもなく、コチラに向かって駆け出した。
 あっと、思ったその瞬間だ。
 突然目の前に黒い風が吹き、ドンっという音とともに僕の視界を奪った。

「え……?」

 濡れたように艶やかな黒い鱗は、日の光を冷ややかに吸い取っているかのようで。
 僕は場違いにもわずかな間、心奪われてしまっていた。
 そしてはっと我に返り、今度は一気に頭の中がハテナでいっぱいになった。

 なぜこいつがここにいるんだ? イノシシは? どうなった? もしかして庇ってくれた? どうして!

 ふと、その巨体が退かれ、前方の景色がようやく見えた。するとそこには、怯えたような目でドラゴンを睨み付けるイノシシの姿が。しかし殺気や戦意といったものはすでに見えない。
 終いには、ドラゴンの唸り声を聞くと、そのまま後ずさって茂みの中へと消えていってしまった。
 数秒間緊張した空気が続き、その一拍後、僕ははあぁっと肩の力を抜いた。

「たすかった……死ぬかと思った」

 思わずそう漏れた。まさに危機一髪だった。もしあの時ドラゴンが来るのがもうちょっと遅かったらどうなっていたこか……。

 その時、へたり込むぼくの頬を優しく撫でるものがあった。

「お前……」

 まるで僕の不安をかき消さんとばかりに、そっと優しく鼻頭を擦り付けるてくるんだ。

「助けてくれて、ありがとう……」

 涙ながらにそう伝えると、ドラゴンはクルァと優しく鳴いた。





 それから僕らは、毎日森で会っていた。
 ドラゴンというのは、話に聞いていたよりずっと頭がいい。人の言葉はもちろん、簡単な計算や、罠の仕組みなんかも理解できるんだ。
 それから僕は、ドラゴンに名前を付けた。と言っても好き勝手付けたのではなく、ドラゴンに何回も首を振られてようやく決まったのだけれど。

「リューク」

 今日も僕は森に入り、いつもの場所でその名前を呼んだ。するとすぐに草をかき分けて何かが近づいてくる音がした。
 姿を現したドラゴン──リュークは、僕の持ってきた籠の中身を早く出せと言わんばかりに長く太い尾で地面を叩いた。

「はいはい、そんな急かさなくても魚は逃げないよ」

 色々な種類の魚を持ってきたけど、リュークはヤウと呼ばれる三〇センチ前後の魚が好きなようだ。この魚は瓜のような香りが特徴的で、泥の少ない川で釣ったヤウは川魚にしては非常に美味しい。
 しかもリュークは美食家で、釣ったままのではなく内臓を取り清水で洗ったのを好んで食べるのだ。でもなければわざわざ僕から魚を貰おうとはしないだろう。
 そういえば、以前から頼んでいたことがあった。

「なぁ、一緒に街に行かないか?」

 途端にそっぽを向くリューク。

「それがだめなら、せめて鱗を一枚……」

 バンと地面を尾で打つ。

「駄目かぁ」

 リュークはなぜか僕以外の人間に姿を晒したくないらしい。魚で釣ろうが頼み込もうが、断固拒否。ドラゴンがいるという証拠となる鱗すら譲ってくれない。いや、単純に痛いとかそういう理由かもしれないけど。

「まあいいや……これ食べるかい? チャッペっていうんだ。市場で買ってきたんだ」

 そう言って果物を取り出すと、ペロリと食べてしまう。

「現金な奴だなぁ」

 そう言っていた時だ。

「うわぁあああ! ど、ドラゴンだぁ!!」

 突然そんな叫びが響いた。
まずい!
僕はバッと顔を上げ、声の方向を見た。しかしその声の主……五十くらいの男は、もう街の方に走り始めていた。

「ま、待って!」

 慌ててそう声をかけるも、あっという間に小さくなる背中。遅かったか……。

「ああぁ……まずいことになった……」

 項垂れている僕を慰めるように頭をこすってくるリューク。
 リュークに危険性はない……ドラゴンだから力こそ強いが、人と同じくらい知能が高くて、人を傷つけるようなことはない。そのことを今日中には領主に伝えに行かないと……。討伐隊なんか出されたらたまったものじゃない。

 僕はため息をつきながらこの後の処理を考えるのであった。





「ふむ、言葉を理解し、危害は加えてこないと」
「はい。ですので、そっとしておいてもらえれば、ありがたいです。時々現れる大熊なんかも、下手に刺激しなければ特に問題を起こさないのです!」
「ふむ……人に害を及ぼさないドラゴンか……」

 何かを思い込む様子の領主様にどうしたのか尋ねようとしたその時。

「ドラゴンですって!?!?」

 突然そんな声が響いた。手入れがされた長い金髪。ふわりと広がるドレス。部屋に入って来たのは領主の一人娘、キャルロットだった。

「ああ、キャリー。今お客様が来てるから……」
「そんな薄汚い狩人なんかどうでもいいですわ! それよりドラゴンがまた出たって本当ですの!?}
「……ああ」
「まあ、それは一大こと! 早く兵を出さなくきゃ!」
「ま、待ってください!」

 せっかく安全だと伝えに来たのに、討伐隊なんか出されたら大変だ。

「なんですの、あなた」
「あ、いえ、そのドラゴンと仲良くしてる狩人です。そのドラゴンはとても賢くて、人を襲うようなことはしないんです! だから……」
「ドラゴンと仲良くしてるですって!?」

 ああ、もしかしてこの人は、ドラゴンを化け物としか見ていないのかもしれない。

「は、はい。そのドラゴンは人の言葉もわか……」
「あなた、そのドラゴン私にくださいませ」
「えっ!?」

 いきなり何を言い出すんだこのお嬢様は。突然の申し出に思わず唖然としてしまった。

「なんですのその顔は……あぁ、お金ですの。いくらほしいのですの?」
「……お金はいりません」
「あら、分かっていらっしゃる? はした金でなくってよ? 一生遊んで暮らせるだけの大金を出しますわよ?」

 このお嬢様……ドラゴンを何だと思っているんだ。そして領主もだ。娘がそんな訳分からないことを言い出しても何も言わない。

「お断りします」
「……そうですの。分かりましたわ」

 思わず睨み付けそうになるが、身分が違う。ぐっと堪える。

「今日はこれで失礼します」
「……ああ。報告ありがとう」

 僕はそう言って領主の屋敷を出た。なぜだろう、なんとなく嫌な予感がするのは。
 


「……お金が要らないなら、必要になるようにすれば良いだけですわ」



「はぁ!? 引き取れない!?」

 僕はバンっとカウンターテーブルを叩いた。

「ああ、悪いね……領主様からの命令でな、なんでも流通の制御のためにしばらく売り買いが禁止されたんだ」
「売り買い禁止って……」
「補償金をたんまり出されてねぇ」
「そんな……」
「ま、制限が解除されたら買い取ってやるから、それまで待ってな」
「……わかりました」

 その次の日からだ。鉱石も薬草も売れなくなったのは。

 嫌がらせ、だろうか……。家には売れなかった鉱石や薬草が溜まっている。鉱石はともかく、薬草は早々にどうにかしないと傷んでしまう。
 木の実や野草なんかは採取で何とかなっているけれど、それ以外の……食料品や生活で使う物まで、お金がなければどうしようもないものが買えなくなってしまう。
 特に、母さんの薬代だ。これだけは何としても用意しなければならない。
 採取や採掘はできても、それを加工する知識はないんだ。それ以外から収入を得るしかない。

 一体どうしたら……。

 考えながら森を歩いていると、ガサガサと近くの茂みが音を立て始めた。そして飛び出してくるのは大きな黒いトカゲ──ではなく、ドラゴン。リュークだ。
 魚が欲しいのか頭を低くし、尻尾を振っている。

「……ごめんよ、今日は魚はないんだ」

 ピタリと硬直するリューク。

「薬草も鉱石も買い取ってくれなくてね……魚を買うお金も惜しいんだ……いや、リュークに言ってもしょうがないことか」

 しょんぼりとしたリューク。その頭を撫で、謝る。

「どうにかしてお金が稼げれば、また魚を買ってきてやれるんだけど……どうしたものかなぁ」

 僕がそう言ってどうお金を稼ごうか頭を抱えていると、突然リュークが僕の後襟を咥え、その背中に放り降ろした。

「ちょ、ちょっとリューク!?」

 驚いて言葉も出ない僕を無視し、黒い翼を広げた。

「ま、まさか……!」

 慌ててその太い首に腕でしがみつく──と同時に、広い背中に押し付けられた。違う。リュークが飛んだんだ。

「うわぁぁぁあああ!!」

 見る見るうちに離れていく地面。あっという間に木々に阻まれ見えなくなってしまった。
 目を開けているのも大変な程風が打ち付ける……それを堪え、前方に視線を移した。すると見えたのは、僕が薬草や鉱石を売りに行くあの街だった。
 どうして突然こんなことをしたのか。どうして街に向かっているのか。聞く暇もなくその景色が近づいてくる。
 風を全身で感じながら、僕は悲鳴を上げるのだった。




 うわあああ! ドラゴンだ!!
 おい見ろ! 背中に誰か乗ってるぞ!
 お、降りてくる……。

 その後リュークは僕を乗せたまま街の上……噴水広場まで飛ぶと、そこに降り始めた。それに伴って、地上からは人々の驚きと恐怖の声が聞こえて来た。

 体が宙に逃げそうになるのを必死に堪え、地面に降りる瞬間には、優しく重さが戻ってきた。

「お、おいお前! だいじょうぶかぁ!?」

 そう、心配そうな声が投げかけられた。慌てて「はい!」と返ことをする。
 震える足で転がるように背中から降り、辺りを窺う。やはり皆怯えた顔をしている。

「このドラゴンは……友達なので安心してください!」

 僕はそう言って、リュークの首に、肩を組むように腕を回した。そして引きつりそうになりながらも笑顔を貼り付ける。
 いや本当に、冷や汗が止まらない。そもそもどうしてリュークは僕を連れて街に連れて来たのか。それすら分からない。
 その真意を確かめようとリュークを見つめる……と、リュークもまた、僕を見つめていた。その瞳はまるで「お前に任せる」とでも言っているように思えた。

 ……そういえば、リュークが僕を背中に乗せる前、僕は自分で何と言っていた? お金が足りない。稼げれば魚を買ってこれる。そう言った。
 それに、前から僕はことあるごとに、リュークに街に来ないかとお願いしていた。

 ……そうだ。リュークは僕に任せてくれたんだ。僕を信頼して、これからの運命を託してくれたんだ。

 口が勝手に動いた。

「これから、世にも珍しいドラゴンショーをお見せします!」

 ドラゴンショー? なんだそりゃ? 何が始まるんだ?

 そんな声があちこちから上がった。

「さあさあ、ぜひ見て行ってください!」

 僕は必死に頭を回転させた。そして、リュークに耳打ちする。すると任せろとばかりに、リュークは鳴いてくれた。

 周囲の困惑が、興味、期待に変わっていくのが肌で分かった。ピリピリとした緊張感が満ちていく。
 僕は真っ赤なエレップと呼ばれる果実をカバンから取り出すと、それを大空へと投げた。そして次の瞬間、リュークが飛び上がった。

 もはや目で追うのも難しいくらいのスピードで大空へ飛んで行ったリューク。その口には、僕が投げたエレップが咥えられている。そして長い首を鞭のように使い、エレップを遠くへ放り投げた。
 その光景を尻目に、僕は肩にかけた弓を左手で持ち、矢を番えていた。その矢じりは、鋭く銀色に輝いている。

 ふーっと、息を吐く。

 閉じていた目を開き、放物線を描き落ちていく赤い果実を見据える。

 引き絞るように矢を引いていき、揺れる弓を自分の体のようにコントロールする。

 距離は、果実が豆粒ほどに見えるほど。落ちる速さはすでにトップスピードだ。
 
 一瞬息を止め、穴が開くほど見つめる風景が一瞬止まる。その瞬間右手の平の力が抜け、矢が僕のもとから飛び立った。

 光の線となった矢はほぼ一直線に飛んでいき、遥か彼方にある赤い豆粒に突き刺さった。

「……!」

 観客達が一斉に息をのむ音が聞こえた。
 そして一拍後、リュークがその矢が刺さったエイレップと見ことキャッチし、雷のような歓声が鳴り響いた。

「すげえなあんちゃん!!」
「大したもんだよ!」
「感動した! 良いもん見させてもらったぜ!」

 それから僕はというと、あっという間に揉みくちゃにされ、足元にはどんどん銀貨が置かれた。その小山はどんどん大きくなっていき、終いにはカバンが一杯になるほどの硬貨が投げられた。

 これだけあれば、売買の制限中の生活費や薬代は賄えるだろう。
 ちらりとリュークを様子を見てみれば、最初の怯えられようは何だったのかと思うほど受け入れられていた。皆初めて見るドラゴンに興味津々のようで、ビクビクとしながら鼻っ面に手を伸ばしている。リュークも特段嫌がっていないようだ。

 ああ、よかった。

 強大な力を持つドラゴン。その存在を恐れるあまり危害を加えようとする人が現れるんじゃないか。そんな不安は確かにずっとあった。けれど、意外と世間は暖かかったみたいだ。

「おーい、リューク!」

 あれだけ嫌がっていたのに、街に来てくれて。そして僕のために力を貸してくれて、本当にありがとう。その気持ちを伝えようと、一歩踏み出したその時だ。

「いたぞー! 撃てーっ!」

 突然そんな叫び声が聞こえ、数十メートル先から巨大な網が空を覆った。
 その網はリュークの体に食らいつくかのように飛んできて、その翼や頭、足などを絡めとっていく。

「リュークっ!?」

 一体何ことだ!? 慌てて駆け寄り網に手をかける。しかし、そこに待ったをかける声が。

「おっと! そのドラゴンから離れな!」

 数人の男たちがゾロゾロと現れ、僕とリュークを引き離した。
 なにをするんだ。なんなんだお前ら。そう訊ねる前に、男たちはこう言った。

「ここにいるのは八十年前の黒の厄災の原因、そのドラゴンの子供だ! なにをするか分からない! 我々キャルロット親衛隊が捕獲した! みな安心して元の生活に戻るがいい!!」

 黒の厄災……聞いたことがある。八十年前に山から下りて来た黒色のドラゴンが、この街を焼き払ったのだ。
 そしてリュークはその子供であると、男は言ったのだ。

 しかし、そんなことは分かっていたのだ。数あるドラゴンの伝説。その中で漆黒の鱗を持つのはたった一頭だけ。そして僕が出会った黒いドラゴンは明らかに小さく、生まれて一年もたっていないだろう。そう考えれば、答えは明らかだ。
 リュークはその子孫なのではないかと。

 ヒシヒシと、僕を囲む人々の表情が暗くなっていくのが感じられた。
 このままでは、まずい。


「違うんです! リュークは、このドラゴンは人を襲ったりしません!」

 僕が必死にそう訴えかけるも、視線はどんどん冷めていった。そして畳みかけるように、男たちはリュークに手をかけた掛け始めた!

「やめてください……!」
「うるさい黙っていろ!」

 必死に止めようとするが、屈強な男たちは聞く耳を持たず、その内の一人に取り押さえられる。そしてあっという間にリュークを捕えてしまった。

「リューク!!」
「ええい! おとなしくしてろっ!」

 リュークはそのまま檻に入れられ、台車に乗せられた。

「やめろ! リュークを放せ!!」
「おだまりなさいっ!」

 その時、若い女の声が響いた。領主の娘、キャルロットだ。さっと横に分かれた傭兵たちの間を、女王のように悠然と歩み寄ってきた。

「あなた、あんな猛獣を野放しにしろと、そうおっしゃいますの?」
「ふざけるな! リュークはだれも傷つけてないし、暴れてもいない! なのに
なんで捕まらなきゃいけないんだ!!」
「あら、あなた猛獣がまだ人を襲っていないからって、これから先も絶対襲わないとおっしゃいますの?」
「それは……」

 リュークは猛獣じゃない。僕はそう知っているが、他の人からしたらそれは分からないことだ……。

「リュークは、人の言葉が分かる。意思疎通ができるんです」
「全く何を言い出すかと思えば……とにかく、このドラゴンは私が責任もって捕獲します」
「待って……!!」
「いい加減にしとけ坊主」

 手を伸ばすものの、僕を取り押さえていた傭兵に突き飛ばされた。硬い石畳に背中を打ち付け、呼吸ができなくなる。

「リュー、ク……」

 かすみ行く視界の中、檻の中で暴れるリュークが連れ去られるのが見えた。




 やがて人がいなくなり、後に残ったのは地面にうずくまる僕だけだった。もう、体は痛くない。精々手の平にかすり傷を負ったくらいだ。なんてことはない。
 けれど、どうしようもないほど心が痛かった。激しい痛みに襲われ、どうすることもできず、ただわなわなと震えることしかできない。

 リュークが連れ去られるとき、僕は何をしていた?
 必死に止めようとした? 本気で抵抗した? 友達のために、全てを捨てる覚悟で立ち向かった?
 答えは、否だ。僕は自分が傷つくのが怖くて、そして誰かを傷つけることも怖わくて、本気で抵抗していなかった。

 血がにじむほど強く拳を握りしめ、地面に打ち付けた。

「この馬鹿野郎!」

 そうだ。リュークは友達だ。いつまでも怖気づいて……それでも伝説の猟師の息子か!
 父さんは、獲物を狩ったりはしなかった。けど、大切なもの……あの時は、僕だ。僕を守るために、獲物に矢を向けた。その覚悟こそが、今僕に足りない重要な一歩だ。迷っていちゃだめだ。リュークを……友達を取り返すために、僕は、僕ができることをする!


 その日の夜、僕は領主の住む屋敷の前に来ていた。
 木の陰に隠れ、そっと門に目をやる。

「……やっぱり見張りはいるか」

 思った通り、門の前には二人、槍を持った傭兵が立っていた。一人だったならまだしも、二人ともなると騒ぎを起こさず侵入するのは難しい。
 僕は正面の門から数十メートル横の、何もない塀の前まで移動した。

 辺りを素早く見回し、誰もいないことを確認すると弓に矢を番えた。それを塀の上の鉄格子に放つ。
 矢の後ろにロープが加えてあり、鍵爪のような返しがついた矢が鉄格子に引っかかることで塀を登って中に入ることができる。
 素早く上ると、塀の中に見張りがいないかを確認し、地面に降り立った。
 屋敷は静かで、既に窓から零れる光はなかった。

 庭を観察してみると、足首の高さに細い糸が走っていたり、草むらの中に銀色に光る装置が落ちていたり。防犯用のトラップだろう。
 注意深く庭を進み、屋敷に近づく。こういう場合、建物の近くのほうが厳重に罠が仕掛けられていることが多い。しかし、家の人が歩くのか全然罠はなく、唯一あったのは踏むと大きな音が鳴る砂利だけだった。
 僕は木の板をそっと置くと、その上を歩いた。カエルの鳴き声のような音が少し鳴ったが、大丈夫そうだ。

 そうして僕は屋敷の中に忍び込んだ。

 リュークはどこにいるのだろう。僕は考えた。
 リュークはそこそこでかい。そして重い。大きさは人より少し大きいくらいだが、大木のような重量だ。
 それに、リュークは鉄の檻に閉じ込められている。そんな鉄の塊、まさか二階より上には運べないだろう。そして家主の寝室は防犯のために二階以上の階にあるはず。
 そこで僕は、一階だけを探し周った。

 物音を立てないように、また門番は交代制のはず。その残りの門番たちや家の住民に出くわさないように、僕は一回中を探し周った。

 しかし、リュークは見つからなかった。

「一体どこにいるんだ、リューク……」

 おかしい、探してない場所はもうないはず。隠し通路なんかあったら分からないけど、どの道このまま探していても仕方がない。二階に行くか……?


 僕がそう思い、二階へ続く階段の前に立ったその時だ。

「クルアァァァ……」

 リュークの、悲痛な鳴き声が聞こえた。
 音は少なくとも階段の上からした物ではない。となれば……!

「地下があるのか!」

 しかし二回に続く階段の横には、壁があるのみ。どこか別の場所に、地下へと通じる階段があるはず。
 どこだ……一応全部の部屋は調べた。応接間、食堂、バストイレ、空き部屋、物置……どこにもそれらしき物はなかった。

「いや、待てよ……?」

 食堂、その奥にあるのはキッチン。キッチンで使う食料などを保管する場所があるはず。食品が傷まないように涼しい場所――つまり地下にあるはずだ!

 そう考えた僕は、さっそく食堂へ行った。そしてその奥のキッチンに続く、扉を開けた。

「!!」

 キッチンのには扉があり、なんと開いていてしかも光が漏れていた。それに耳をすませば、微かに物音が聞こえる気がする。

「リューク……!」

 僕は小声で友達の名前を呼び、意を決して階段を静かに下りて行った。





『ふふふ、ようやく手に入れましたわ、ドラゴン……』

 地下室への入り口、その前に着いたとき、部屋の中から若い女……キャルロットの声が聞こえてきた。
 扉にそっと耳を当てる。

『全く、ここまで随分かかりましたわ……三年くらいでしょうか』

 いったい何の話をしているんだ……?

『貴方の母親のドラゴンったら、せっかく捕まえたと思ったのに、自分で首をかみ切って死んじゃうんですもの。豪い目にあいましたわ』

「……!?」

『貴方には長生きして貰いますわ』

 笑気を含んだ、そんなおぞましいセリフが聞こえた。

『あら、なんですのその目は? 感謝して欲しいですわ……だって、これから一生私のペットとして贅沢に生きれるのですから!!』

 ああ……そういうことか。どうにもおかしいと思った。
 屋敷で会った時にはドラゴンを寄越せと言ったくせに、今日の昼間には「危険な獣を捕まえる」と言ってきた時の違和感。それがこの正体だ。
 こいつはドラゴンを、リュークを、生き物だとは思っていない! ただ自分を満足させるだけの道具だと思っているんだ!!

 ぐつぐつと体が煮えたぎり、自分を保っていられなくなる……そう思うほどに怒りがこみ上げてきた。
 でも、まだだ。
 僕は振り返ると、そのまま静かに階段を上って行った。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「うふふ……そんな生意気な目も、すぐ従順にしてあげますわ」

 私がそういうと、それまで突き刺すように睨みつけてきていた目に、怯えが走りましたわ。
 全くドラゴンというものは、どうしてこうも愚かなのでしょう?

 私は壁に掛けてあった鞭を手に取りながら、昔のことを思い出しました。

 幼いころから物語に登場するドラゴン。その存在は私にとって気高く、美しく、そして許せない存在でしたわ。
 だって、私よりも偉ぶっているんですもの!

野生の世界でいかに支配者かは知りませんが、そんなのは人間の世界では全く関係ないことですもの。こうやって丈夫な革で口と翼を縛って、丈夫な鉄の檻に閉じ込めてやればほら、もう手も足も出ないんですもの。

 そんなトカゲ風情が、私より偉そうな顔で威張ってるなんて、とても許せませんわ。
 お父様でさえ、私には逆らえないですのに!!
私がお願いすれば、どんなお願いだって聞いてくれましたわ。最初に捕獲兵を出した時も渋っていましたが、私がお願いすれば聞いてくれましたわ。

 三年前、森の奥にある大きな岩山でドラゴンの親子が見つかりましたわ。
 私はお父様にお願いして、捕獲隊を出しましたわ。そしていよいよ捕まえる手前で、一人の猟師のせいで子供のドラゴンを逃しましたわ。そして親のドラゴンも自害してしまい……こうして私の計画は失敗に終わりました。

 とりあえずその猟師は捕らえて獄死させましたが、残念なことに子供のドラゴンはずっと見つからず。半分諦めてましたの。

ですけど、なんてことでしょう!
 三年たって、そのドラゴンが現れるなんて! これは運命……いや、必然に違いありませんわ。だって私より偉ぶってるトカゲがいるなんて、絶対に許されないのですから!

 しかし……。

 なんという因果でしょう。三年前に私を邪魔した猟師、あの子供が、またしても私の邪魔をしてきましたの。
 最初こそ素直に引き渡せば、金をやると言ったのに……あいつは断りましたわ。ですので、あいつのことを身の上を調べ、鉱石や薬草を売って生計を立てていることを知り、市場にストップをかけましたの。
 ですがいつまでたっても泣きついてこないですし、いっそのこと害獣を捕獲するという名目で森に捕獲隊を送ろうかと考えていたのです。
 しかしそんな所で、あの一人と一匹はこの領主館の目の前で、大道芸を披露し始めましたの!
 いそいで傭兵をかき集め、ついにドラゴンを捕まえることに成功しましたの!

 そして今に至りますわ……。こうして目の前で私を警戒するドラゴン。なんて無様なのでしょう……!

「さあ、たっぷり泣かせてあげますわ……」
「……そこまでだ」

 急に後ろから、忌々しい声が聞こえてきました。
 沸々と湧き上がる憤りを感じながら振り返れば……。

「これ以上は、お前の好き勝手にはさせない!」

 あの憎き猟師の息子が、立っていましたわ。

「あら……どうやってここまで忍び込んだかは分かりませんが、貴方、この状況が分かっていらっしゃって?」

 突然現れたことには驚いたものの、それよりも、またもや私を邪魔する者が現れたことに対するイライラの方が勝ちました。
 のこのことやって来たこと、死ぬまで公開させて差し上げますわ!

「侵入者ですわ!」

 私はそう叫ぶと同時に、音鳴石を床に投げつけましたわ。
 この石はその名の通り、砕けるときに高く大きい音を出す変わった石ですわ。

 金属同士を強く打ち付けたような音が響き渡り、まもなくして上からドタドタと足音が聞こえてきました。
 ふふふ、泣いて乞いたって許しはしませんわ!

 しかし。

『うわああああー!!』

 聞こえて来たのは汚い悲鳴と、ガタガタと落石ような大きな物音で。
 私の目の前、地下室の入り口の扉が勢いよく開かれ、大きな男たち──雇っている傭兵たちが揉みくちゃになって滑り落ちてきたのです。

「え……?」

 一体何が起こっているの!?
 思わずうろたえた私に、若い猟師を表情を変えずに言った。

「……階段に、キッチンにあったオイルを塗らせてもらったよ」

 ああ、なんていうことなんでしょう! こいつ、私が傭兵を呼ぶことを見越して罠を仕掛けていたのね!!

「き、気に食わない! 気に食わないですわ!!」

 その澄ました表情、私を見下すような目、気に食わないですわ! 絶対に許さない……!!
 私は持っていた鞭を解き、猟師に向かって振るいましたわ。

 バシンッと鋭い音が鳴りましたが、間一髪のところ除けられましたわ。
 そして半ば倒れたままの状態で、素早く弓に矢を番え、放つ猟師。しかしどれも見当違いな方向へ飛んでいくではないですか!

「おーほっほっ、随分と下手な腕前ですわね!」

 私の勝ちは決まったようなものですわ。にやりと頬が緩むのを堪え、私が鞭を振るおうとした瞬間──。

 ガンッ!!

 背後から金属が砕けるような大きな音が聞こえました。
 驚いて振り返れば、そこには目を疑う光景が広がっていましたわ。

 光を淡く反射する黒色の鱗。鋼のように鈍く輝く牙。闇の中の狼のように、不吉な光を放つ瞳。
 そこには、檻から出てきたドラゴンの姿がありましたわ。

 一体なんで!? そう思って見れば、檻の鍵や口、羽に着けていた革に矢が刺さっていました。

「まさか、さっきのは私ではなくて──」

 そう言い終わる間もなく、ドラゴンが大きな口をゆっくり開き、


 バクンッ

 全てが暗闇に落ちましたわ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「き、気に食わない! 気に食わないですわ!!」

 キャルロットは突然鬼のような形相になると、手に持っていた鞭を解き、僕に向かって振るってきた!

 間一髪のところで躱すと、僕は矢を三本抜き取り、不安定な体制のまま弓に番えた。
 狙うは檻の閂、リュークの口と翼を縛るベルトの留め具。
 少しでもずれればリュークに当たってしまう。けれど、やるしかない。

 一瞬、リュークと目が合った。そこには、僕を信じる強い思いが宿っているように感じられたのは、気のせいじゃないはずだ!
 僕は倒れこみながら、一呼吸で全ての矢を放った。
 矢は弧を描き、薄暗い室内の中をを光の筋となって走った。

 そして、見ことに全て狙い通りに当たり、リュークを縛る物は何もなくなった!

 キャルロットは僕の真意に気付いていないのか、ニタニタとネバつくような笑みを浮かべながら、鞭を持つ手を振り上げた。

 ──後は頼んだ、リューク。

 檻から解放されたリュークはキャルロットに近寄ると、大きく口を開け──。




「んう……」

 あれ? 私一体……と呟きながら、キャルロットは目を覚ました。そしてすぐに僕と、それからリュークを視界に入れると、ヒッと顔を青ざめさせた。

「わ、私っ、なんでっ!?」
「……リュークは、人の言葉が分かるんだ」
「は……?」

 混乱するキャルロットに話しかける。

「人の言葉が分かるし、人の気持ちだって分かる。少なくとも君よりは」
「な、何を言って……」
「リュークの母親は、君に殺されたんだってね」
「そ、それは言いがかりですわ! あれはあのドラゴンが勝手に──」
「黙れ!」

 僕が怒鳴りつけると、ひゅっと体を縮こませた。

「……君は、大切な人が君を守るために、自ら犠牲になった人の気持ちが分かるかい?」

 僕は淡々と問いかけた。

 僕は、父さんが死ぬまで、動物を狩っていた。
 父さんは僕を止めはしなかったが、どこか悲しそうな顔をしていた。

 僕は何度も、親子でいる動物と遭遇することがあった。
 なぜか親の動物は勘が鋭くて、僕が矢を番えるとすぐコチラに気付くのだ。そして、子の前に立って威嚇してくるんだ。

 僕はずっと、それを当たり前の、パターン化した動物の行動としてしか見ていなかった。でも、違った。

 どの動物の親子も、大切な人を助けるために、襲い来る恐怖に支配されながらも脅威に立ち向かうんだ。たとえそれで自分の命が犠牲になっても、大切な人に生きていてほしいから……。
 それを、僕は父さんを亡くしてからようやく気付くことができた。リュークも、大切な人を失う悲しみを知っているんだ。

「リュークは、別に君のために君を生かしたんじゃない」

 訳の分からないといった様子のキャルロットから視線を外し、その後方、ソファに座る男性にずらした。

「リュークは、君を大切に思う人のために、君を生かしたんだ」
「お、お父様……」

 一瞬泣き出しそうな顔になるお嬢様。しかしすぐに何かを思い出したかのように領主にまくしたて始めた。

「お父様! こいつら、勝手に侵入して私を──」
「キャリー……」
「お、お父様……?」

 いつもと様子が違うらしい父親の姿に、お嬢様の表情が固まった。

「私は、君のことが大好きだ。君を産んですぐに死んでしまった母さんの分まで、君を愛し、守らなければならない。そう思って、今まで過ごしてきた」
「……」
「……だが、どうやら私は愛し方を、間違えていたらしい」
「お、とう、さま……」

 キャルロットの頬に、涙が伝った。

「これは、私の責任だ。君に思いやりを教えられなかった、私が、父親失格だった……」
「そ、そんなこと……」

 辛そうな表情を浮かべて、領主は目をつぶった。

「私は、私が受けるべき罰を受けよう。だが、キャリー。君もだ。今まで自分がしてきたことが、どんなに人を傷つけ、許されないことだったのかを知らなければならない」
「そ、そんな……」

 はぁっと、深いため息をつくと、重い口を開けた。

「キャルロット・ベーゼル。お前を、ベーゼル家から追放する」
「え……?」
「街にある宿屋、そこは君が前に我儘を言ったことでずっと赤字が続いて、そこの主人が体調を崩して奥さんが一人で切り盛りしている。家に借金もしている。キャリー、君はそこで、店の借金がなくなるまで働きなさい」
「そんな! お父様!」
「今から、君は私の娘ではない。ただのキャルロットだ!」

 絶望に目を見開くお嬢様。すでに最初の傲慢さは鳴りを潜め、そんな、そんなと涙を流すばかりだ。

「……借金がなくなったら、好きにしなさい。私を恨もうが、私のことなど忘れて働き続けようが、別のことをしようが、自由にしなさい。ただ……」

 そこで領主の目にも、雫がたまった。

「……ただ、もしも私が君のことを本当に愛していて、その気持ちが変わっていないことを覚えていたら、またベーゼル家に戻ってきてほしい」
「お、お父様あああっ!!」

 そこには、何かに気付いたかのように父親に縋りつく少女の姿があった。






「……君にも、そして君にも、悪いことをした」
「いえ……」
「クルァ……」
「到底許されることではないことは分かっている。私は残りの一生を、罪滅ぼしに費やして生きていかなくてはならない。君のお母さんも、病気がちで家で寝込んでいると聞いた」
「まあ、そうですけど……」
「とりあえずこれからは、医者にかかるのも、薬を買うのも私がお金を出そう」
「え!?」

 僕は驚き、思わず真偽をたしかめようとした。

「もちろんこんなことで罪はなくならないが、最初の行動としてだな……」
「いらないです」
「なに?

 目を丸くしてコチラを見つめる領主。

「僕には、森があります。そしてリュークがいます。母の病気の治療も、実はもう目途がついていたんです」
「そうか! それはよかった……」
「ただ、一つだけお願いしてもいいですか?」

 安堵そうな表情を浮かべていたが、僕がそう言うと不安げな顔になった。

「それは一体なんだね?」

 僕はウィンクをしながら、こう言った。

「鉱石と薬草の買い取り規制、解除してほしいです」

「……ふっ、はっはっはっはっは! いや、参った。それは約束しよう!」
「ありがとうございます。それから……リュークは」
「人の言葉が分かるし、心も分かる。人に攻撃しない。そうだろう?」
「……はい!」
「安心してくれていい。捕獲隊や討伐隊は出さない。誓うよ」

 領主の顔は、ずいぶんと晴れ渡っていた。



 こうして、僕とリューク、それから領主の娘キャルロットを巡ること件は幕を閉じた。
 でも、忘れてはいけない。僕たちは知らず知らずの内にも誰かを傷つけ、涙を流させていることを。絶対に何も傷つけないだなんて、生きている以上不可能だから。

 だからこそ、僕は感謝することを忘れない。今回はキャルロットに傷つけられた。だけどこのことがあったから、僕はリュークと絆を深めることができたし、リュークも街に当たり前にやって来られるようになった。
 その人を恨み続けていても仕方ないんだ。恨み、過去にとらわれたままだと、僕らは前に進めない。そして誰かを傷つけるだろう。
 だから僕は恨み続けない。一時は傷つき、その怒りや恨みは毒のように体を巡るだろう。だけど、そのことに囚われ続けてはいけないんだ。

 僕たちは、前に進む。

			

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